もとの場所からちょっと“移設”。
ちょっと“移設”。石段上から。
左がもとの根。
もとの根っこ。
これが大イチョウのウロ。かなり大きく空洞になっている。
1985年6月、木曽・赤沢にて御杣始祭(伊勢神宮の建替え用ヒノキ材の伐りだし)。
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鶴岡八幡宮の大きなイチョウが倒れたんだって。その後の写真を見たら、石段の横が、ちょっと寂しくなってた。
あの木は、ブログ(ひとりごと)にも書いたけど、大きいだけでなく歴史的ないわくもある木だったんだ。残念だったなぁ。
石段のすぐ脇にあるもとの根っこには、土をかけてあるんだ。その隣に、倒れてしまった木の幹が、4〜5mくらいの高さに切って立ててある。こんなに太い木が倒れたんだってビックリ。
それでね、幹の中は空洞。御所の黒松桜を思い出したよ。「じぃじ、サクラを植えに行こうよ」って思った。
お、それは名言だなぁ。
マツにサクラが根を下ろした、あの木だね。10年以上も前にマツ枯れ病で枯れて倒れたものの、今も倒れた姿のまま生きながらえている。この黒松桜の詳しい話は、「森林雑学ゼミ」ですることにしようか。
あの木も中が空洞になってて、そこにサクラの根が伸びたんだよね。
そう、大きな木は中心部分が空洞である場合が多い。
え? 中身が腐ってしまうの? それでも木は大丈夫なの?
幹の生きているのは、形成層と言われる一番外側だけ。中は死んでいるから、腐っていってしまう。
樹種によって腐りやすいもの、そうでないものの違いはあるんだが。
そういえば、大木のウロに精が住んでいる民話なんかがあるね。異界への入口だとかナンとか・・・。
熊が冬ごもりするのも、大木のウロの中が多いよ。
じゃあ、あの大きなイチョウも、特に弱っていたわけじゃなくて、中が空洞になっているのは、実は自然のことだったんだ。
そうした木の状態が、「うろ覚え」という言葉の語源ともいわれるよ。
ちゃんとしているように見えて、実は中が空洞、つまりあいまいってことだね。
屋久島の縄文杉なんかもそうなの?
縄文杉の場合は、中の空洞が見えているところがあるよ。
じゃあ、縄文杉の樹齢7000年っていうけど、伐ってみても切り株の年輪が数えられないじゃない?
あははは。そうだね。あれは「推定」なんだ。
ちなみに、現在の通説では、縄文杉の樹齢は7000年ではなくて、3500年ほどということになっている。それでも数えられないけどね。
もちろん、すべての木が空洞だというわけではないよ。空洞でなく、ちゃんと中身が詰まっている木も、ある。
生えている木に芯があるかないかは、どうやって見分けるの?
神社の建築に使うヒノキは、神事をしてから伐るんだよね。たくさんの人が見てる中で伐り倒してみたら、中身がありませんでした、な〜んてことになったらどうするの?
伊勢神宮の御杣始(みそまはじめ)祭などだね。去年、木曽でその伐り株を見たっけ。
木を見極める役目というのが、実はあるそうだ。いわゆる専門家が判断するというよ。いざ伐ってみて空洞だったら・・・昔は切腹ものだったろうねえ。
うわぁ、大変なお役目だ。
今なら科学的な調べ方もありそうだけど、昔は難しかっただろうなぁ。
ところで、鎌倉の大イチョウ、これからどうなるんだろう。
伐り株の植え替えとか、土の中に残った根からの「ひこばえ」を活かすとか、枝から何百本も切り取って挿し木にするとか、いろんな方法をやっているようだね。
ひこばえって、木の根元から出る新芽のことだよね? 倒れた木からも生えるものなの?
ひこばえは、そもそも生きている木の根株から生えるものなんだよ。
あの木も、倒れる前に根株の部分に出ていたにちがいない。その小さな芽に期待したいね。
みんなに愛されていた大イチョウ、なんとかうまく芽が出るといいなぁ。
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