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2011.04
じぃじ先生 ちょっと教えて
 

海岸のマツが、1本だけ残ったんだって。

 

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仙台の松島は、島が土地を守ったという。























緑部分が防潮林。これだけあった防潮林が・・









東北地方には、40キロに及ぶ海岸林もある。
(風の松原/秋田〜能代)












 

 

  東日本の震災・・・。私たちも学校で募金をしているんだ。
海岸に1本だけマツの木が残ったっていうニュースには、涙が出たよ。

そのマツは、陸前高田の海岸の写真だろう。海岸のマツ林が津波にやられてすっかり無くなったが、1本だけが残った。あのマツは、復興と希望の象徴となっているらしい。

あそこのマツ林は有名だったんだよね?

そう、「高田の松原」と呼ばれ、日本の名勝百選のひとつとして景色も良く、実に立派なものだったんだが・・・。
じぃじ先生もびっくりしたんだ。あの海岸林がすっかり無くなっているとは。



2010年7月23日撮影


2011年3月15日撮影                  Google Earthより


ずっと前からあった林なの?

もともとあったわけではなくて、今から350年ほど前、17世紀半ばの江戸時代。菅野杢之助という高田村の豪商が植えたことにはじまる、人工林なんだよ。
目的は高潮・津波対策、すなわち「防潮林(ぼうちょうりん)」だ。

植えた? 防潮林??

津波や高潮、つまり海から押し寄せる「潮」の勢いを緩める働きをする林のこと。風を防ぐための林を防風林というだろう? それの「潮」版だよ。
あのあたりは、実は、古くから何度も津波の被害を受けてきたところなんだ。それは特殊な地形に由来する。
地図で確認してみよう。陸前高田を含む岩手・宮城県の海岸はギザギザだ。

リアス式海岸、だ。

そう。その海岸線を南下してたどっていくと・・・福島県の海岸線は、長く延びる形。対称的な形だね。
津波は、狭い入江や湾では高さが増幅され威力も増すという。そんなことから、そうした地形の場所には、津波についての記録や言い伝えなども多い。


昔から、防潮の意識があったんだ。それだけ、地元の人は悩まされ続けてきたってことだよね。

6,200本ほどだったといわれる、その寛文の林は、1835(天保8)年の地震津波で壊滅したそうだ。2代目を再造林するも、1896(明治29)年に津波に遭った。
その後またも造林し、1935(昭和10)年から補植など整備の手を入れていたのが今回被災の林だ。
老・壮齢の大きな木は明治植栽のアカマツ、その他の壮・若齢木は昭和植栽のクロマツの林で、樹高10〜25mの木々が、幅100〜150m、延長2kmに、7万本立ち並んだ人工の防潮林だったんだよ。


何度も津波にやられているのに、くり返して植えてきたんだ・・・。

そう。地元の人たちは「自らは倒れても背後を守ってくれる」と信頼をよせ、倒れても倒れても、また海岸林を復活させてきたんだ。

ずっと備えてきたってことだね。
でもね。林でしょう? 木が並んでいても、間は空いてるじゃない? 津波のような水を食い止めることなんてできるのかなぁ。

ああ、そう思うのも無理はないね。
だが、まさに“林立”する木の幹は障害物となって海水の勢いを弱める働き、押し流されてくる船や漁業用のイカダなどを食い止め、町や村への流入と損傷を防ぐ働き、そして引き波のときに家財・資材の流出を妨げる働きもある。
こうした働きで、軽度の津波や高潮の時には、事実、役に立ってきたんだ。
1960(昭和35)年、チリで大地震が起こったのを知ってるかな?


あ、テレビで見たことあるよ。地球の裏側のことなのに、日本にも津波がやってきたんだよね。

そう。それこそ三陸海岸を襲ったんだ。
最高波高6m、犠牲者は100名を超えたという津波だったが、一方で、あちこちの海岸林が効果を発揮したことが記録されている。
例えば、宮古市(岩手県)の樹高10〜15m、林帯幅25mというクロマツ林も、8割が倒れながらも10トン級の船6隻を食い止め、もっと小さな船や、カキや海苔養殖のイカダはほぼ完全に市街地への流入を阻止、と記録にある。陸前高田のマツ林も前線でかなりの漁船や流材を食い止めて、それに守られた家屋の被害は小破壊にとどまったというんだ。
一方で、林帯がなかったり木がまばらだったりするところでは、流入物が多くて住居は破壊され、それらの大量の堆積物で復旧が遅れたという話もある。

チリの地震も大きな災害だったんだね。だけど、今回の津波の大きさは、その程度のものではなかった・・・。

 

  おそらく、今まで地元が知る程度をはるかに超えた規模だった。
自治体はシミュレーションして、避難計画も練っていたというけど、そのレベルではなかったんだろう。陸前高田で、津波の高さは15mとも20mともいわれているほどだったのだから。
三陸海岸では高さ10mのコンクリート防波堤も造られ、これを越すことはまず無かろうということだったのが、今回の津波は越えただけでなく、それ自体も壊してしまったとか。
ニュースによると、宮城県にあった防潮などを目的とする海岸保安林は1,394ha。そのうち、なんと87%にあたる1,211haが被害を受けたということだ。
残念でならないけれど、壊滅的という言葉が、まさにふさわしい状況だ。


本当に怖いんだね。“Tsunami”という言葉は、世界共通語と聞いたけど。

世界に広めたのは小泉八雲。彼は自身の作品の中で“tsunami”を使った。それをきっかけに、20世紀後半から、世界で広く使われるようになり、公式用語となったそうだよ。
“津”とは“港”の意味。沖合いからの波は、沖に浮かぶ船よりも港(津)に大被害をもたらす。そこから「津波」という日本語が生まれたらしい。

映像を見て、新聞で読んで、やっぱり自然ってすごいんだと思った。人の力の及ぶものじゃないんだよね。
2011年3月11日。この日はずっと忘れないと思う。被災された皆さんにお見舞いと、被災地の復興を祈るばかり・・・。

 

 

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