YOSHIYA TADAKI 's web sit
e
森林雑学研究室
Stories of Forest Ecology
陸前高田の「希望の松」が・・・。
3・11、あれから1年。あのすごい津波に耐えたのに・・・。やっぱり元気にならなかったね。
陸前高田の海辺にすっくと立っていた1本。復興のシンボルとされてきたね。(
→2011.4ちょっと教えて
)
7月には新芽が認められ期待されたものの、9月には芽は変色、樹勢も衰えたのだとか。たくさんの専門家が保存のために懸命の努力をしたが、手当ても空しく、12月には回復不能と判定されてしまった。
樹木医さんが治療している様子をニュースで見たよ。
そうだね。実にいろいろな“治療”が施されたようだ。
栄養剤としての堆肥、発根を促す活力剤などを与えたり、地表の高温化を防ぐために地上にワラやヨシで覆ったり、根に塩水が来ないようにと周辺をかなり広い面積で鉄板の矢板で区切ったり、真水を散水したり・・・。
でも、救えなかった・・・残念。
あのマツが倒れなかったのには、樹高30m、直径80cmという大きさもあるだろう。
津波の高さは地上10mくらいだったが、そのあたりまで枝がなかったから、受ける水の抵抗が少なかった、とも考えられる。
枯れてしまったいちばんの要因は、海水だろうね。
あの日、何度も繰り返した津波で、少なくとも15時間は直接海水に浸かっていたという。その後も5月頃まで、水位が高くなった地下水は海水と通じてしまい、土が海水に浸されたことで、根の活力・再生力が衰え、生理的に生命力を失ったんだ。
さらに、2011年の夏は高温少雨の酷暑だったから・・・。
海水の塩分は大敵なんだ。だったら、海岸林を育てるのって大変なんじゃないのかな。
海岸の植物は当然塩分には強いのだけれど、長時間浸かればやはり厳しいよ。前に扱った
マングローブ
など特殊なものを除いてはね。(
→2010.9ちょっと教えて
)
だから、海岸林や鳥取砂丘などでの砂地の緑化は海水ヒタヒタのところではなく、垂直的・水平的に海水面から距離をおいた場所で行う。塩水の影響をできるだけ少なくしようとね。
水平的というのは、海辺からある程度離れたところって意味だよね。
じゃあ、垂直的っていうのは?
盛り土したりして、海水面から高くすることをいうんだ。塩水を吸い上げては意味がないからね。
海岸林に適した樹種ってあるの? 塩分に強いのは絶対条件として、きっと、気温や風向きなどの立地条件によっても違うよね。
これまで、カシワ、グミ、ヤナギ類、ミズナラ、ネムノキ、アカマツなどが経験的に使われてきた。そのなかで相対的に、潮風や痩せた土地にも強いとされたのがクロマツだ。本州・四国・九州の海岸にもともと多かったこともあって、よく用いられるようになった。
ニセアカシア、エニシダ、ヤシャブシ、ヤマモモ、ハンノキなどを混ぜ植えすることもある。これらは肥料木といって、土を肥やす力の強い樹種だ。
クロマツが生育しにくい北海道では、カシワ、ミズナラ、トドマツ、アカエゾマツなどの例があるね。
そもそも、海岸林っていつ頃からつくられてきたの?
陸前高田のは、江戸時代に地元の豪商が植林を始めたんだったよね。(
→2011.4ちょっと教えて
)
造成が盛んになったのは、江戸時代以降のこと。
ほとんどの地域が、陸前高田と同じような経緯をもつ。私財を投じた人、リーダーとなった人などの努力によるところ大で、多くの場合、地元の力で完成させてきたんだ。
そうやって各地に植えられ、今では必要なところは大体カバーされている。
地元の力って、すごいなぁ。
平地の少ないわが国では海岸沿いは使いやすい土地で、農地や農村がひろがる。海岸林のそもそもの目的は、高波や津波を防ぐことではなく、飛砂、風、潮害、霧などから暮らしの場を守ることだったんだ。
ところが後年、その“使いやすい土地”は、宅地・道路などの「開発」にも狙われやすい土地となった。すなわち、海岸林の存在が脅かされることになる。
開発・・・あ、高度経済成長期だ!
そう。あの時代、全国あちこちの海岸林が、宅地・道路・工場などの開発にさらされた。
それからバブルの時代もだ。宮崎県の代表的なリゾート施設、シーガイアはそのひとつ。一ツ葉海岸林という有名で広大だった海岸マツ林の一部が削られて、ゴルフ場やホテルになってしまったんだ。
木を伐ったら、海岸林の意味がないじゃない。その場所に必要だからこそ、昔の人がせっかくつくったのに。
だろう? 伐採してはじめて、潮風や飛砂の被害の大きさに気づいた例も各地で多くあった。
現在では、だいぶ見直されてきているよ。防潮堤などのハードウェアに依存しすぎたという反省もされている。
コンクリートの防潮堤は確かに効果的だが、昨年のような想定をはるかに超える大津波だと倒壊など、かえって危険が増すんだ。また、高額をかけても耐用年数はせいぜい50~60年というところ。
一方、海岸林は、老木の更新など手入れをきちんと行えば、半永久的に使用可能だろう。
その海岸林が傷んだ場合はどうするの?
津波とか乱開発で物理的に壊されたあとは、やっぱり「植える」しかないのかな。
陸前高田の林は津波で壊れるたびに植栽され復元されてきた(
→2011.4ちょっと教えて
)。乱開発後の復元も、やはり植栽しかない。
開発以外に、病虫害による破壊もある。
近年特に深刻なのは、おなじみ、
マツ枯れ病
(
→2010.2森林雑学ゼミ
)と
ナラ枯れ
(
→2010.5森林雑学ゼミ
)だ。これらは伝染を防ぐための除去処置の徹底が必須だね。各地で育成や保全の作業は続いているよ。
で、気になるのが、陸前高田の今後なんだけど・・・。
接ぎ木やタネを育てるのには成功したんだよね?
希望の松の子孫を中心にマツ林復活を目指そうという努力もあった。
しかし、なにしろ木そのものが弱っているから、実際には、接ぎ木苗は7本、タネからの苗(実生苗)18 本しか得られなかったようだ。
それはともかく、今回壊された太平洋沿岸各県の海岸林面積は1,000haにもおよぶ。その復元用の苗木となると、少なくとも数百万本は必要だ。
一挙に復元というのはとてもとても・・・。どうなるだろうなぁ。
海岸林復活への道は険しそう・・・?
いや、あきらめてはいないよ。
陸前高田では、津波後残った30mほどの砂地が徐々に東側に増え、波打ち際も復活してきたそうだ。その砂地に、夏にはハマエンドウやハマナスが花を咲かせたという。
地元の人々による高田松原復興の市民運動も高まっているとか。
コンクリート製の防潮堤にばかり頼るのではなく、自然と融合した新しい方法で防災に取り組もうという姿勢だね。
今まで何度も津波でやられ、そこからまた復興してきたんだもんね。
希望の松は、復興応援国債の金貨のデザインになるんだって。
震災後、皆を、日本を勇気づけてくれた一本松のこと、ずっと忘れないよ。
※「希望の松」の保存対策の状況等については、「
陸前高田市『希望の松』保護対策報告
」(日本造園建設業協会・日本造園学会・日本緑化センター/2011.12.13)を参考にさせていただきました。
根元に矢板が見える。懸命の“治療”も・・・。
その姿に、皆が励まされました。ありがとう。
※写真提供:
義援バルーン空撮
海岸林の最前線。
海からの潮風をまともに受けるため、背が伸びにくい。
(湘南海岸、昭和40年代初期)
佐賀県・虹ノ松原。
日本の有名な松原のひとつ。(昭和30年代末)
海岸林の造成風景(福井県・芦原)。
どうか、人々が安心して暮らせますように。
※『日本の海岸林』(ソフトサイエンス社、1992年)より
シーガイアを望む。
一ツ葉海岸マツ林は、今やゴルフ場に。(宮崎県)
マツ枯れが蔓延して、すでに半世紀。
今、東北日本海側で。
(愛知県・伊良湖海岸、昭和40年代初期)
在りし日の高田松原。
完全復活はなかなか厳しい。でも、地元はもちろん、全国が待ち望んでいるんだよね。
※『日本の海岸林』(ソフトサイエンス社、1992年)より
じぃじ先生 ちょっと教えて
バックナンバー>>>
じぃじ先生 ちょっと教えて
バックナンバー>>>