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2013.07
じぃじ先生 ちょっと教えて
 

ごはんは和食の基本だよね。

 

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お弁当はやっぱりおにぎり。海苔を巻いて、いっただきま〜す!

 

 

 

 


照葉樹林の典型、奈良の春日山。
きらきらしてる!

 

 

 

 

 

ツバキの葉は、分厚くて、小さくて、つやつや。


 

 
白ご飯と海苔はやっぱり和食の基本だなぁ。

お米のご飯、好きだねぇ。

 

日本人だからね。水田稲作は日本文化を象徴するもの。生態人類学の授業で出てきた。日本文化は、照葉樹林文化をベースに、ナラ林文化と海人文化が統合されてできたものなんだって。
で、その照葉樹林文化は水田稲作と深い関わりがあるってことなんだけど・・・。

ほぅ、そういう勉強をしているのか。じゃあ、今回はそれを紐解いていくとしよう。
ではまず、ひとつ質問です。照葉樹林文化の「照葉樹」ってどういうものだったかな?


暖温帯にある常緑広葉樹林。確か、西日本に広がっているんだよね(→2013.2森林雑学ゼミ)。

正解。気温と降水量の関係で整理してみよう。
暖温帯、つまり温帯の中でも比較的暖かいが、冬には寒くなり、そして雨の多い地域の常緑樹林。カシ類・シイ類・タブ・クス・ツバキなどが代表的樹種だ。

 


照葉樹と呼ばれる理由は、葉の表面が光っているからだよね。

そう、典型的なのはツバキの葉だったね(→2012.2ちょっと教えて)。表面にクチクラ層(cuticula)と呼ばれるコーティングがあり、これがつやつや光っている。


ん? ちょっと待って。cuticulaって・・・キューティクルじゃない!? シャンプーのCMなんかによくある、「キューティクルを保護してツヤツヤの髪に」って、あれ?

ああ、そっちがおなじみだね。クチクラというのはラテン語で「表皮」のこと、キューティクルはその英語読みだ。


そうなのかぁ。それと葉が小型なのも特徴。寒さに対抗するために身を縮めて、クチクラ層で厚着しているのかな。大きくてのびのびしている熱帯林の樹木の葉っぱとは正反対だ。

そう。それからもうひとつ、植生には、気温のほかに重要なことがあるよ。


あ、降水量だ。

 

鹿児島とナポリの違いは雨の量。
ほんとだ、縦軸(月平均気温)ではだいたい同じぐらいの範囲に入ってるのに、横軸(降水量)では全然違う。

 

 

 

 

夏の乾燥に強い、硬葉樹のオリーブ。
地中海だねぇ。

 

 

 


台湾と日本、お茶の文化は共通。だけど茶葉はずいぶん違う。

台湾の工芸茶は、お湯に入れると花が咲く。

奥は我が家御用達の、京都のほうじ茶。

 

 

 

歴史の古い棚田水田。周囲の照葉樹林がその生産を支えてきた。

奈良県・明日香村

 

 


 

ドングリがとれるコナラ林。「里山」の代表選手だね。

東京都・桧原村

 

そう。例えば、鹿児島とイタリアのナポリ。さて、このグラフから何が読み取れるだろうか。


1年を通しての量が、鹿児島の方が圧倒的に多い。月別で見ると、鹿児島は夏に多くて、ナポリは冬に多い。

そのとおり。そして両市の気温はというと、年平均気温は17℃で同じ、暖かさの指数(→2013.7森林雑学ゼミ)も140℃・月 と同じだ。

こうした条件を、さっきの表にあてはめてみると、鹿児島は照葉樹林、ナポリは硬葉樹林となることがわかるね。

ちなみに硬葉樹とは、夏の乾燥に強い樹木で、油や果実で有名なオリーブや、樹皮からコルクを採るコルクガシが代表種だ。


気温条件は似ていても、雨の降り方の違いで植生が異なる。ナポリは、夏の乾燥に強い樹木が育つってことだね。
照葉樹林という呼び方は、日本独自のものなの?

呼び方は日本で始まったものだが、照葉樹林は、ヒマラヤの中腹あたりから、中国の南のほう、雲南・揚子江流域を経て日本までの地域に見られるよ。
その分布に注目し、1960年代、中尾佐助、佐々木高明、上山春平などの諸先生方が中心になって唱えた学説が・・・。


「照葉樹林文化論」だよね。

そう、まさしく勉強中なんだよね。ならば、ちょっと概要を説明してもらおうかな。


わ、試されてる(笑)。
えーっと、照葉樹林は、いわゆるジャポニカ米の植生分布とほぼ一致している。この地域には、稲作をはじめ、お餅、お味噌や納豆などの大豆発酵食品、お茶など、食に共通するところが多く、お餅を晴れの日に食べることや、絹、漆、高床式住居なんかの生活様式も似ていて・・・。
あ、そうそう。羽衣伝説とか、死体から新しい命が生まれるという死体化生伝説なども共通しているんだって。

うんうん。で、そうした地域をまとめて何と呼ぶかな。


「東亜半月弧」だよね。
長年この地域に水田稲作の起源があると言われてきたけど、今では、長江流域発祥という説の方が有力になっているって。

なかなか勉強しているな。感心感心。
その水田稲作だが、日本文化とのかかわりが深いのは言うまでもない。日常の主食としてだけでなく、祭祀や生活の中の風習にも稲作の影響が強い。


古代から続く、神嘗祭、新嘗祭とか、お田植えのお祭りとか、あるよね。

大名の所得や船の大きさなど、規模を表すのもお米が基準だった。


「石(こく)」だ。加賀百万石とか、千石船とか。

お米を基準にした体積量は、1石=10斗=100升=1000合(≒180リットル)。これは人間1人あたりの1年間の消費量に相当すると言うよ。


でもね、これだけ日本人・日本文化と密接な稲作は、東日本にはなかなか広がらなかったんだって。
長江地域で発生した稲作は、約50年で今の東海地方まで伝わったのに、関東に広がるのには200〜300年もかかっているらしい。

その理由は?


東日本に広がるのが照葉樹林ではなくて、ナラ林だったからかもしれないんだって。

ナラとは、どんな木だろう?


常緑じゃなかったよね。落葉する広葉樹で、カシノナガキクイムシの被害が心配な木(→2010.5森林雑学ゼミ)。

ご名答。今回はカシナガの話は置いておくとして、そう、寒い冬場は光合成をあきらめて葉を落としてしまう落葉樹だ。秋にはドングリがたくさんとれる。


 

ということは、食べ物には困らない。「手間のかかる稲作なんてしなくても、ドングリ食べとけばいいじゃん」って、きっと誰かが言ったんだよ。その時代に生まれなくてよかったぁ。

あははは。まぁ、現実的には、東日本はやはり気温が低くて、稲作に適さなかったということだろうな。
最近は気候が随分荒れていて、夏は日本列島全部が真夏日になってしまうけど、やはり比較的東・北日本のほうが低温だから、稲の進出には時間がかかった。長年の品種改良が続いて、今でこそ、東北地方は米どころだけどね。


そのナラ林文化圏の人たちが、どうして稲作をするようになったのか。
それは、もともと半栽培的なことをやっていて、徐々に受け入れたってことらしい。吉良先生(→2011.11.24ひとりごと)によると、日本の半栽培の時代の長さは世界でも特異なんだって。

ベースになるものはあったんだろうね。で、誰かがお米を食べてみて、「これはおいしい」って言ったんだろうなぁ。


きっと日本人の体質って、それまで知らなかったとしても、一度食べてみたらお米を受け入れるようにできているんだよ。

極論だなぁ(笑)。


それは冗談としても、お米が日本の文化を統合したのは事実だし、日本文化の象徴になったわけでしょ。そういえば、稲作だったから山に森林が残されたという話もあったよね(→2009.9森林雑学ゼミ)。

そうだね。さて、日本文化を構成する3つの要素のうち、最後に残った海人文化。これはじぃじ先生の守備範囲外だなぁ。しっかり大学で勉強した上で、いずれそれを含めた総合論を聞かせてもらうとしようか。


「じぃじ先生、ちょっと聞いて」だね。はい、がんばります!


 

 

 

 

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