只木良也森林雑学研究室 本文へジャンプ

 
2013.12
じぃじ先生 ちょっと教えて
 

「緑化」ってなんだ?

 

  swpochiバックナンバー




 

孟子さん。

中国・戦国時代の人で、孔子さんと並ぶ有名な儒学者だよね。

 

 

 

 


砂漠。

これはこれで好きだけど、緑がないのが寂しいなぁ。

 

 

 

 

 

 

ひこばえは、切り株からこんなふうに生えてくる。

 

 

 

 

 

 

その後のひこばえ。

牛に食べられなくて良かったね。

昔の、薪や炭の原料を採ってた林は、わざとこんな風にして運営してたんだって。

 

 

 

 

 


放牧中。羊がいっぱい。

食べすぎように気をつけないとね。

 

 

 

 

 

こんなにいろいろある、生態系サービス

緑のペンキでは、こんな効果は生まれない。

 

 

 

 

 

 

日本にとっても「国土緑化」は大切なこと。

毎年、こんな記念切手が発行されているんだって。

 

 

 

 

 

 


キョウチクトウ(上)と、カイズカイブキ(下)。

公害に強い木の代表格なんだって。

キョウチクトウの方は、花が咲くことからも好まれてたみたい。

 

 

 

 

 

 

じぃじ先生が見てきた、30年前、帯広グリーンパーク造成中の風景。

今、どんなふうになってるかなぁ。

 

 

 

 

 

 

これが、有名な長〜〜〜い木のベンチだって。

 

 

 
中国哲学の授業で、性善説が出てきたんだけど・・・。

こんどは哲学か。いろいろな勉強をしているんだなぁ。


『孟子』に、こんな話があったの。これ、じぃじ先生がいつも話していることと同じじゃないかなぁ、と思って。

『孟子』 告子上【現代語訳】

 

牛山の木々は、かつては美しく茂っていたが、大国の近郊にあるため次々と伐採され、美しいとは言えなくなった。木々の生命力と雨露の恵みによりひこばえが生えないこともなかったが、今度は放牧の牛や羊が食い尽くしてしまった。それであのようにつるつるになった。人はつるつるなようすを見て、もともと木など生えていなかったと思いがちだが、それが山の本性なのではない。人間の場合も同様で、もともと仁義の心がないなどという事はありえない。人間が良心を失うのは、木が伐採されるのと同じことだ。


ほぉ! 孟子さん、わかってらっしゃる!


でしょ。今まで聞いてきたことが、いろいろ入ってるんだよ。

そうだね。これは興味深い。ちょっと丁寧に見ていこう。

まずは、最初の一文、「牛山の木々は、かつては・・・美しいとは言えなくなった」。

前に、乾燥地帯では長年かけて成立した森林が破壊後回復せず、砂漠になってしまったところが多い、という話をしたね(→2013.8ちょっと教えて)。 人間活動のための森林伐採は、どこにでもあること。ここに出てくる牛山に限らず、メソポタミアはじめ文明開化の地ではね。

そんな状況について、18世紀フランスの政治家・作家シャトーブリアンは、「文明の前には森林があり、文明のあとには砂漠が残る」と言っている。


名言だなぁ。
「大国」の部分を「都」と訳している例もあるの。それって、まさに琵琶湖の田上山の悲劇の話だよね。

その通りだね。 奈良時代の都の造営のために木材を伐りだされた田上山は、禿山になってしまった。

さて次に、「木々の生命力と雨露の恵みによりひこばえが生えないこともなかったが、・・・」。

えっと、そもそもの質問なんだけど、この牛山っていうのは中国のどのあたりにあるのかな?


斉の国、山東省だって。

ああ、そうか。あのあたりは大陸東部の湿潤な照葉樹林地帯だから、乾燥地帯と違って、森林復元の力は十分備えていたと思われる。 しかし、復元のひこばえ(→2010.4ちょっと教えて)は、実は牛や羊の大好物だ。


だから、「今度は放牧の牛や羊が食い尽くしてしまった」と。

そう。これでは森林に復元できない。荒廃、はげ山という状況は、過放牧という、行き過ぎた人間活動が招いた結果じゃないだろうか。

現に、過放牧が顕著なモンゴル、アフリカなどでは、草原地帯が食い荒らされて、草原が維持できなくなっている。

そんなことから、「牛山」とは、放牧地で牛が多い場所の、いわゆる“呼び名”だったんじゃないかと思って調べてみたら、やっぱり。「牛山」は中国のあちこちにあるみたいだ。


前に、砂漠化のことを調べたとき、“over grazing”っていうのがあった。草地での過剰な放牧が砂漠化を引き起こしているって。
「過放牧」って、それと同じことだよね?

その通り。世界レベルで見れば、砂漠化は、もともと乾燥の草原地域で問題になる現象だ。

それが湿潤な森林地帯で起こるということは、よほどの放牧過多か、あるいは森林喪失が原因の崩壊などによるもので、例外的なんだ。


うーん、過剰な放牧って、牛がどれだけいる状況なんだろう・・・。

ちょっと想像つかないね。とにかくうじゃうじゃとたくさんいる状況を思い浮かべながら(笑)、先へ進むとしようか。

お次は、「人はつるつるなようすを見て・・・それが山の本性なのではない」。

つまり、山は森林が緑々しているのがあたりまえ。人間はそもそも仁義の心を持っている。木を失い、良心を失った姿は、本来の姿ではない、ということか。

ああ、これもまったくもってその通り!


逆に言えば、「見かけ上つくろったところで、本質は変わらないんだよ」ということだよね。
そこで、先生の解説があったのね。
「はげ山を見かけ上美しく見せるにはね、いろいろあるじゃないですか、植林するとかね・・・緑に塗るとか」って。

・・・ん? 緑に塗る?


そう、そこ引っかかるよねぇ、やっぱり。
私も気になって、「そんな例があるんですか?」って聞いてみたら・・・。

え? まさか・・・?


まさか、なんだよねぇ。あったの。
数年前の中国、乱開発で木々がなくなった山に、緑のペンキを塗っちゃった例があるんだって。役所の建物の風水を見たら、緑が必要だからって。
『中国雲南省:乱開発の禿山にペンキを大量噴霧して「緑化」』大紀元

何だって? 木を植えたんじゃなくて、本当にペンキを塗ったの!?

なんとまぁ、すごいことをやるなあ。


まぁ、緑になれば見た目はいいかもしれない。
でも、塗っただけでは意味がないよね。生態系サービス(→2011.2森林雑学ゼミ)は受けられないもの。

そうだよ。緑の効用と呼ばれる環境保全的な効用は、書物などに出てくるだけで50種近いがある。

でもそれは、緑の色に塗るだけで得られるものでは、もちろんない。塗っただけでは、あくまで“そう”見えるだけなんだから。


うん。それで、じぃじ先生の「緑化は緑で化かすことではない」という話を思い出したの。

そうか。これはまさに「緑化」という言葉の本質をついた例だね。

「緑化」という言葉は社会的に受けがよく、悪く言う人はまずいないだろう。だからかえって、なにかと宣伝の手段になったり、利益追求の材料になったり、不都合なことの「かくれみの」のように使われることも少なくない。

これらの「緑化」は「緑で化ける」「緑で化かす」と読むのだと、ことあるごとに皮肉を言ってきたが、まさかなぁ・・・。いやいや。


ちゃんと本物の木を植えなきゃ!

「本物の木」か。じゃあ、せっかくなので、その「本物の木」について、もうひとつ踏み込んでおこうか。

生態系サービスもだが、環境汚染という視点で考えてみよう。


環境汚染・・・?

この視点が必要だと思い、考えるようになったのは、1980年代。世の中、環境汚染が深刻だった頃だ。

木を植えるとなると、主に街中では環境汚染について耐性の強い木を植えることが盛んになっていたんだ。


あ、弱い樹木は枯れてしまうからってこと?

そう。街に「緑」を保持するには、強い木でないとだめだったんだ。

当時の「強い木」の御三家が、キョウチクトウ、マテバシイ、カイズカイブキ。暖かい地方の街では、これらさえ植えておけばまず失敗はなく、緑化はできる。

けれどそれだけじゃなくて、環境汚染を、身をもって表してくれる「汚染に弱い」樹種を もっと配置すべきだ、というのを、じぃじ先生は持論としていたんだ。


そうか。樹木の種類が、環境、空気の状態の指標になるってことだよね。

生育環境の悪化に強い樹木は、環境の悪化を教えてくれない。でも、弱い木が無事に育ってくれる環境こそ、住む人々にとっても良い環境なのだから。

そんなことから、じぃじ先生は、その役割を果たしてくれる樹木を「警報木」と呼んでいるんだ。


警報を鳴らす木、か。 公害に強い木、弱い木というのは何を基準に決まるの? 水質汚染? それとも呼吸に必要な酸素?

基準としては、まずは大気汚染、そして土壌汚染や水質ももちろん。

酸素については、植物は光合成でそれを出す方だよ。


ん? 大気汚染が、植物の呼吸をさまたげるということ?

大気汚染とは、原則として、それまで大気中になかった物質が大気に混入したり、もともとの構成物質のあるものが異常に増えたりすること。

光合成のとき、汚染物質を体内に取り込んで障害を起こすし、また汚染濃度が高ければその接触で障害が起きる。

人が有毒ガスで障害を起こし、毒物食べて死ぬのと同じだね。もちろん、土にも水にも同様のことが言える。


なるほどなぁ。当時に比べれば、最近は大気汚染がおさまってきているのかな。
お母さんの子どもの頃なんか、よく光化学スモッグが出て、目がチカチカして息が苦しかったんだって。私の小さい頃にもたまにあったよ。

日本では、昭和40年代以降、いろいろ規制が掛けられて、個々の汚染物質の濃度は低くなった。

でも年々、汚染物質の種類が増えていることから、それらの「複合汚染」の心配は続いている。


うーん、じゃあ「警報木」は今でも必要なんだよね。

必要だろうね。

だって、考えてごらんよ。大気汚染で人間が住めなくなった町に、公害に強い植物が生い茂っている光景を。そんなSFもどきを書いたこともあったかな。


いやだぁ、気味が悪い。それ、フィクションのままならいいけど・・・。
「緑化」という言葉、大事に考えなきゃ。化かすなら、中身がちゃんとともなって、正しい方に化かさないといけない。

中身がともなう、正しい方への化かし方。そう、そこは声を大にしたいところだ。

北海道の帯広市では、1970年代から続く、幅500mの林帯と河川で、街を取り囲む都市林造成計画があった。1984年にその記念シンポジウムに招かれたとき、講演でこんな話をしたのを覚えているよ。

今、帯広の名の由来を尋ねられたら「アイヌ語のオペレペレケプ」と答えるだろう。しかし、100年後に同じことを聞かれたらその都市林のことを話せるように、「ご覧なさい、あの都市林の帯の広さを。だから帯広なのです」とまで、緑で化かせるように。そんな帯広都市林の完成を願っている、とね。


その帯広の都市林、今は、どうなっているのかな。

なかなか再訪の機会がなく、この目で見たわけではないけれど、帯広市や関係団体のサイトなどによると、着実に進行しているらしいよ。

なんといったって100年の計画だ。まだまだ先は長いさ。


1970年代からの100年後ということは、2070年くらいだから、私が、今のじぃじ先生の年齢の頃。
いい感じに化かされたいなぁ。楽しみ〜。

 

 

 

swpochiページの先頭に戻る

swpochiじぃじ先生 ちょっと教えて バックナンバー

 

   


 
Stories of Forest Ecology  只木良也 森林雑学研究室
当サイト内の文章・画像等の無断転載はご遠慮ください。©2009-2017 YOSHIYA TADAKI All Rights Reserved.
inserted by FC2 system