都名所図会より、京都・泉湧寺の風景。
後ろの山が・・・みたいだけど、これ、木を描くのが面倒くさかっただけかも!?
二宮金次郎さんも薪を採りに行ってたんだよね。
もしかしてこれも過剰利用のひとつになっちゃってたのかな。
伊勢神宮宮域林。
ここがほんの100年前の、明治初めには木がなかったなんて信じられないね
田上山の現状。
ちゃんと木があるところも見えるけど、まだまだやっぱりまだらだね。
田上山の裸地谷。
ここは緑化の作業をしないとどうなるのか見るための、「人手を加えない」試験地なんだって。
ドイツのブナ林の試験林。
地表を踏み荒らさないように、通路は板敷きになっている。
こういう道もいいよね。
斜面を削っただけの林道。
上から削って下に持ってきて・・・で、こんな道になる。水も土も流れちゃいそう。
削ったあとがはっきり見える。
こんなに土を削ってるんだ・・・。
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この間話した中国の牛山(→2013.12ちょっと教えて)、今は木が繁っているんだって。先生が、こんなサイトを教えてくださったよ。
中国の旅行サイト「liketrip」より、牛山の紹介ページ
お、またおもしろい情報を仕入れてきたな。どれどれ・・・ほほぅ、すっかり緑が回復しているね。
山東省のあたりなら湿潤な気候だから、森林の回復力もあるだろうな。
過度な放牧・伐採など人間の利用圧力で逆行状態だった遷移が再出発(二次遷移)したということだね。
孟子さんの頃、2000年昔には木がなかったというのがうそみたいだね。
そういう例は日本にもあるよ。身近な里山なんかもね。
うん、人とはもちつもたれつの関係で、「豊かな自然」というイメージがある。でも、実際のところ、江戸時代には薪採りなどの過度利用で里山が裸地化した例も多かったんだよ。
琵琶湖周辺では神社のご神体の三上山だけが緑で、他は裸山。京都東山もだ。
名古屋の徳川美術館が保存している領内の絵図も、江戸時代の初めの100年は緑色だけれど、その後は茶色になる。昔の絵図はそんなのばかりなんだ。
岡山藩の熊沢蕃山が『天下の山林、十に八尽く』なんて嘆いた状況だったんだよ。
江戸時代・・・あ、鎖国だ。閉鎖されたなかでのオーバー・ユース(過剰利用)ってことなのかな。
だけど、明治時代以降、そうした利用が一気に止んだというわけではないよね。
もちろんだ。明治以降も、里山利用は続いた。化学肥料や化石燃料が農村に普及する昭和30年頃まではね。
その一方で、明治期には法律ができたんだ。森林法というもので、裸地の緑化に対する努力が始まった。
人がそうやって努力すれば、日本では、大きな後押しが得られる。
そのとおり。雨多く夏暑いのがわが国の気候の特徴だ。
それが、人さえその気になれば緑化に力を貸してくれる、というより、積極的に推進してくれるというわけだ。
伊勢神宮の宮域林の話を覚えているかな。
お伊勢参りが盛んだった江戸時代、燃料用等に伐採されて一度は禿山になったのに、今ではヒノキを造林していて・・・
あ! 植えたのもあるけど、そのまま置いといた林もあったんだった!(→2013.4ちょっと教えて)
そう。宮域林5,500haの半分はヒノキの人工林とし、あとの半分はそのまま残して自然に任せた。
100年を経た今では見事に照葉樹林化したんだよ。
気候サマサマ、だねぇ。
本当にね。このように、森林は基本的には、過度な利用をやめて雨さえ降ればなんとか回復するものだ。
だが、そこには実はもうひとつ、とても重要な条件がある。
重要な条件?
歴史は古くなるが、琵琶湖南部の田上(たなかみ)山を例に考えてみよう。
奈良の都の造営のために大量の木が伐り尽くされて丸坊主になっちゃった、あのかわいそうなお山だね。(→2013.12ちょっと教えて)
うん。あそこは深くまで風化した花崗岩の山で、土は流れやすく、母岩も崩れやすい。
だから、用材のヒノキが大量に伐採された後には裸地となり、森林は回復しないまま、そして災害が繰り返されてきた。
江戸時代、5代将軍綱吉が緑化を試みたものの、技術が伴わずうまくいかなかったという歴史がある。
今はところどころ、まだらな感じだよね。
そう、ようやく明治時代になって、オランダから技師を招いて緑化に取り組むようになっていったんだ。
その治山造林のおかげで、山にはかなり緑が戻ってきたが、・・・まだまだだね。
でも、岩の山なんでしょう?
昔は木が生い茂っていた。・・・ってことは、かつてそこには木が生える土がちゃんとあったってことなのかな。
そのとおり。樹木の伐採が進むと土がむき出しになるから、雨風で簡単に流れていってしまう。
そうなると岩山になってしまって、木は根を張ることができず、成長できなくなるんだ。(→2010.8森林雑学ゼミ)
土の存在は、大切なんだね。
そういえば、前にジオグラフィの授業で聞いたけれど、エコツーリズムの世界では、歩道や林道をつくるときErosion(土が流れること、浸食)に注意しないといけないらしい。
ベトナムのクックフーン国立公園では、もともと細いけもの道のような通路しかなかったところに人を無計画に入れてしまったの。
結果、土の道を人がどんどん歩いて表土が流失していってしまったんだって。
人の踏みつけによる土の被害、確かにあるよ。前に土砂災害の話をしただろう。森林の水保全には・・・。
土の「すき間」だよね、ポイントは。
そのとおり。林道を歩いてきて森へ踏みこむと、足に伝わる感覚が柔らかいと感じることがあるが、それは土に「すき間」があるということ。
その土を大勢の人が踏みつけると、柔らかい構造が潰れ、隙間が少なくなって水が浸み込みにくくなる。
とするとその水は地表を流れていってしまう、というわけ。これが侵食・流出の構造だ。
その対策として、直接土を踏みつけないように板を敷くとか、地面から浮かせた歩道をつくるとか、いろんな方法が考えだされているようなんだけど・・・。
最も厳しくは、立ち入り禁止だね。屋久杉の縄文杉の周囲はそうなっている。次いで立入許可制、木曽赤沢の奥千本など。
比べて、板敷きの歩道や空中歩道(林冠回廊)は、ぐっと緩い措置だ。
土についていえば、人の踏みつけどころか、もっと直接的で大規模な「土の移動」があるよ。日本では、昭和40年代ごろから、「立派な」道が作られるようになった。
ん? なんかちょっと「立派な」に含みがある?
うん。林道だけじゃなく一般の道路も増えた。山の斜面に水平面をもつ道を付けるとはどういうことか、考えてみよう。
まずは、斜面上部の土を削り取る。その土を、道の下に積み上げて道幅を広げたり、下斜面に落としたりして完成だ。
写真を見てごらん。土はどういう状態だろうか。
うん、こういうところ、歩いたことがある。
でも、話を聞いたうえで見てみると。この状態って水も土も流れやすそうな・・・。
だろう? しかし、写真の規模ではまだそう大したことはない。
それが、土木技術の進歩で、観光バスなどが乗り入れられるような大きな道がブルドーザーでガーっと簡単につくれるようになったんだよ。
え〜? 林道って森林の保守管理のためなんだから、作業用の車が入りさえすればいいんでしょ?
そんな大きな道をつくるなんて、人が踏みつけるどころのダメージじゃないよね。
そう、その先にあるのは土砂崩壊だ。もっとも、今は、随分改良されて、一時のような乱暴な作り方はなくなってきているが。
そもそも、山の管理のためには、細かい林道が密度濃く配置されている(林道網)ほうがずっと使いやすいはず。観光バスが通るような立派な道が1本あるよりもね。
つくづく、土って大事なんだなぁ・・・。どうしても気候に目がいってしまって、見落としがちになっちゃうけれど。
森林の回復は、土や気候や森林そのものがもつ力があってこそ。でも、それらに頼ってばかりじゃダメなんだよね。まずは人が努力して、そして気候たちの後押しを祈る。
「人事を尽くして天命を待つ」ってことなんだね。
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