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2014.10
じぃじ先生 ちょっと教えて
 

京都府立植物園に行こうよ。

 

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植物園に新しく門ができたんだよね。行ってみたいな。

ああ、まだ知らなかったか。これが賀茂川門。お蔭で植物園が家から近くなったんだよ。


地下鉄の北山駅のそばが正門かな。

あれは北山門。地下鉄の開通に合わせてつくられた門だよ。

植物園ができたのは大正時代。当時、園の北側は今みたいな住宅地ではなかったし人も少なかっただろうから、特に必要はなかったんだと思うよ。

正門は北大路通側で、記念碑も立っている。


え、大正時代? ここって、そんなに古いの? 
・・・あ、90周年って看板がある!

そう、開園は1924年、すなわち大正13年だ。

大正のはじめに計画され、建設も始まっていたが、途中、第一次世界大戦で資金が枯渇して危うい状況にあったそうだよ。それを乗り越えて、今年で開園90周年。

1933(昭和8)年には子ども用のプールも作られたそうだ。


プール!? 斬新だなぁ。じぃじ先生も泳ぎに来た?

いやいや、そのころはまだ生まれたばかりだよ。

さぁ、奥のほうへ行ってみよう。


 

 

 

 
関係者以外立ち入り禁止の奥はバックヤード。どんなことやっているのか、一度見てみたいなぁ。

バックヤードは、この植物園の方針と深くかかわるところ。 開園当初から、一貫してこの植物園では教育や研究を重視してきた。

設立趣旨には、「・・・植物等の知識と天然の摂理一般を普及させ、加えて我が国植物学会各分野の学術研究に資することを目的とする」とある。


単に植物を並べて楽しむところではないってことだね。

そう。植物を育て、研究するためには広大なバックヤードが必要になる。

なんでも、世界中から集められた12,000種類もの植物を保有して栽培しているというからね。その数は日本一だそうだ。


12,000種類! 私たちが見ているのはほんの一部なんだね。

 

 

 

 

 

ここは半木(なからぎ)神社。 もちろん植物園のできる前からあった古いお宮さんだ。上賀茂神社の末社にあたる。語源は「流木(ながれぎ)」だそうだ。


木が流されてきたってことかな。

賀茂川は、昔は暴れ川として有名だった。


あ、「天下三不如意」だ。
平安時代に強い権力を持っていた白河法皇が、比叡山の僧兵と、サイコロの目と、賀茂川の水だけは自分の意のままにならないと嘆いたんだよね。

そう。植物園の歴史によると1935(昭和10)年に洪水の記録があり、集中豪雨で賀茂川が氾濫して園が泥につかったという。

その前年の1934(昭和9)年には室戸台風の直撃を受けて、数千本の木が倒れたそうだ。


開園からわずか10年くらいの頃じゃない。せっかく苦労して開園したのに大変だったんだ・・・。
あれ、このロープはなんだろう。立ち入り禁止?

この半木神社の界隈は、ちょっと特別なエリアだ。

山城盆地のもともとの植生を知る手がかりとなる、落葉樹と常緑樹が混在した自然林。人が意図してつくったのではない場所だ。


大切にしなくちゃ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
桜林に来たよ。
ここ、春は見事だよね。ライトアップもすごくきれいだった。

樹種はソメイヨシノ。ソメイヨシノは、江戸末期に江戸の染井村で改良によって作りだされた品種。

実のところ「サクラと言えば吉野でしょ」ということで「ヨシノ」と付けられただけで、吉野山の桜とは関係ないんだ。


あははは。イメージ戦略だ。

エドヒガンなどは樹齢千年などの大木もあるが、ソメイヨシノの寿命は一般に数十年。それが今、あちこちで寿命を迎えているんだ。


大変だ。
一斉に寿命を迎えるってことは、同じ時期に植えられたってこと?

そのとおり。戦後同じ時期に植えられたものが多いんだ。

それは植物園の歴史ともかかわる話なんだが・・・。 この植物園は、戦後にGHQに接収されて将校たちの住宅地となっていたんだ。その間、住宅や軍の施設、学校などをつくるために、園内の樹木は伐採。

戦争前に25,000本あった樹木が、1957(昭和32)年の返還時には、わずか6,000本になっていたというよ。


ええっ? そんなに減った!?

ようやく戻ってきた植物園を府民に見せようと一般公開されたのが、1959(昭和34)年の春。

学生だったじぃじ先生も行ったよ。今、西洋庭園のあるあたりに、たくさんの花がきれいに咲いていたのを覚えているなぁ。

その後、府民の意見を広く聞きながら温室などの整備を進め、ようやく本格的に再開園したのは1961(昭和36)年のことだ。


そんな歴史があったとは・・・波乱万丈だなぁ。
このサクラは、その頃に植えられたんだね。

そう。それが一斉に弱ってきているんだ。


あ、説明板がある・・・「空気スコップでサクラの保全中」?
弱ってきた樹勢を回復するために、根の周りの土の改良をするエアースコップ法による対策実施中。エアースコップは、圧縮空気で根っこのまわりの土を除去するので、根を傷つけないという。
・・・ふ〜ん、発掘作業でぱふぱふやるみたいなことだね。
元気になるといいなぁ

 

 

 

 

サクラといえば、ちょっと大芝生をこえてあっちへ行ってみよう。

GHQの接収から返還後、整備を進める植物園に、再開園へのお祝いとして、100種類のサクラの苗木を贈った人があった。

「桜守」で有名な15代佐野藤右衛門さんだ。前にブログで紹介した16代藤右衛門さん(→2012.6.21ひとりごと)の先代にあたる。この木はそのうちの1本だよ。


藤棚・・・と思ったら、シダレザクラだ。

祇園・円山公園に、有名なシダレザクラがあるだろう。

あの木の姪っ子にあたるそうだ。


ステキな叔母様をお手本にして育っているのね!
 

 

 

 

 

 

 

 
このショウガみたいなのはなんだろう。

これはヌマスギの気根(膝根)だね。ここに大きなヌマスギがある。


あ、すごくきれいな黄金色になる木だよね。
武蔵丘陵森林公園で見たことがあるよ。

そう、秋には葉が黄色くなる。

ヌマスギは名前の通り湿地に生えていることが多く、根っこ(気根)が呼吸のために地面から顔を出しているんだ。


ねぇねぇ、全部の根っこにビニール巻いちゃったらどうなるの?

おいおい、穏やかでないなぁ。そりゃあ、弱るだろう。まあ、枯れはしないだろうけど。

ところで、このヌマスギの葉、メタセコイヤにそっくりだろう? 

でもよく見るとちょっと違う。


あ、葉の生え方だ。互い違いか、そうでないか。

そのとおり。並べてみるとよくわかるよ。

右がヌマスギ、左がメタセコイヤだ。

この写真のヌマスギはちょっと小さ目だけど、本当はサイズも同じくらいなんだよ。

 


 

 

 

 
メタセコイヤは、植物園にもたくさんあるよね。

うん。メタセコイアは、いったんは絶滅したといわれていた「生きている化石」だ(→2012.10森林雑学ゼミ)。
戦後、アメリカから100本の苗木が贈られ、京都では、京都大学の上賀茂演習林で育てていた。
それを、再開園を目指していた植物園に植えたんだ。


それがいま大木になってきているんだね。

 

 

 

 

 

 

あのスギの木の横に細いツタが見えるだろう? 


んん? 幹の横にぶら下がっているみたいなもののこと?

そうそう、あれはカギカズラ。
スギの木にかぎ爪をひっかけて登っていく。


あ、こずえの上の方に、カギカズラの葉が見える。強いなぁ。

植物の生命力のすごさを感じさせるね。


うん。まるで、いくつもの苦難を乗り越えてきた植物園みたいだ。

そうだね。
もっとも植物園は、平成に入ってからも入園者数が落ち込んだり、サッカー場用地の候補になったりして、苦労は絶えないようだけどね。


でも、コンサートやライトアップとかのイベントもあるし、見頃の植物を書き込んだ園内マップも楽しい。
ブログの更新も頻度が高くて、この間なんてバオバブの木の開花情報が毎日あがっていたよ。
職員さんたちの努力がすごいよね。

園長さんとの気まぐれ散歩、というのもあるよ。これがなかなか興味深いんだ。
じぃじ先生は、返還後の再開園のときには京都を離れていたし、その後しばらくは来る機会もほとんどなかった。

でも、10年ほど前に京都に帰ってきてからは、よくお世話になっているなぁ。
講演やホームページで使う資料写真を、何度撮りに来ていることか!


きれいな花や立派な木を楽しみながら、勉強の役に立つ植物園。
開園時の理想そのままだね。
今後もお世話になりますっ!

 

 

 

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