間伐の話のなかに「長伐期」「短伐期」って出てきたけど(→2016.8森林雑学ゼミ)、その違いがいまひとつわからないんだ。
簡単に言うと、人工林で、木を植えてから伐採するまでの期間が長いか、短いか、の違いだよ。その林からの木材収穫に何年かけるのか、ということだ。
「長」・「短」は相対的な言い方で、通常スギやヒノキで40〜50年を境い目とする例が多い。
50年以上? 以下? 何年かけて育てる・・・?
あははは、混乱しているな。 まず、100haの林があるとしようか。
これを100年長伐期で扱うとする。100haを100年で扱うわけだから、毎年、等面積皆伐して植栽するとすれば、1年あたり1haというわけだ。 これが、50年短伐期ならば・・・。
単純にいうとその倍、毎年2haが皆伐・植林されるよね。
そう。皆伐される面積が増えるということは、材木の産出量が増えるということだ。
素朴な疑問だけど、100年で伐採する林の木と50年の林の木。木材としてはどんな違いがあるの? 植わっている時間が倍も違うってこと、質に何か影響しないのかな。
樹木が一番育つのは植えてから20〜30年の頃なので、年輪幅の大きい(低質)材。その後年輪幅の狭い(良質)材になるが、成長量として大きいこの時期を経て50年を待たずに収穫してしまう方が有効、とする考えも当然生まれてくる、と思う。
とすれば、年々の皆伐面積も増える。
皆伐・植林の回転を速くするってこと? それだけ多く材が採れるから。
そう考える人も多い。 でもこの状況、森林の安定という観点から見たらどうだろう。
森の安定・・・?
1年に皆伐される面積が多いということは、森林のない状態の場所が増えるということだ。
さて、森林に覆われた土地と裸地と、どちらがいいのだろうか。
ああ、だめだよ、裸地は!
治水上、水源涵養、炭素蓄積量・・・森林にはいろいろな役割があるんだもの(→2011.2森林雑学ゼミ)。裸地はリスクが多すぎる。土地は葉っぱで覆われていないと!
そう。皆伐された裸地は、植えた木が大きくなり、その土地が葉で覆われる、すなわち閉鎖するまでには十数年かかる。
この状況を短伐期で扱う場合で見てみると、苗木・若木で閉鎖していない状態の繰り返し回数が多くなることになる。
ということは、短伐期の場合は・・・う〜ん、森林が実力を存分に出せない時間が長くなっちゃう。その間に土壌などの劣化も進む危険ありだ。
そもそも、苗木からの木が育ってようやく一人前になったのに、もう伐るの? という気もするだろう。
本当は、そこからさらに手をいれて良い材が採れるように育てていきたいのに。 吉野杉や北山杉って、ものすごく丁寧に時間をかけている印象があるんだよなぁ。
そう。これまで日本はその長伐期の路線だった。
なぜ、最近になって短伐期がクローズアップされてきたの?
戦後増えた人工林を有効に「長伐期」でという路線から、「短伐期」への変更は数年前からだ。
背景には、日本の木材自給率アップの目的がある。何しろ日本は、国土の66%が森林だというのに、自給率は最近ようやく30%だからね。
ちなみに、国土森林率66%のスウェーデンは139%(うち、輸出相当分39%)、森林率27%のカナダでは303%(うち、輸出相当分203%)。それにならって、日本も2050年に50%まで引き上げようということになったんだ。
うわぁ、日本って少ないんだねぇ。
でもそれより何より、日本が30年ちょっとで50%まで引き上げようとしていることにびっくり。木が育つのには時間が必要なのに。
だからこそ、と言うべきなのか、いろいろなことが起こっているよ。そのうちのひとつが、間伐をめぐる制度の変更だ。
間伐って、林業衰退で山の働き手が減って、きちんと行われなくなっているんだよね(→2012.6森林雑学ゼミ)。
そう。でもその重要性は認識されていて、間伐には補助金が出ているんだ。
とはいえ、材木がなかなか売れない今の時代、運搬賃の方がかさんでしまう。そこで実施されたのが、伐った木をその場にそのまま置いておいてもよい、伐り捨て間伐補助だった。
森の中にほったらかしなの? 大丈夫なのかな。別の問題が起こりそうな・・・。
ご明察だねぇ。まぁ、間伐をしないよりは良い。だけど、洪水時などにこの伐り捨て丸太が流れてきて被害を大きくする、なんてこともある。
大問題じゃない!
だからまた制度が変わり、今度は間伐木を持ち出した時点ではじめて補助金が出ることになった。どんどん間伐し、木を伐って出せばお金になるというわけだ。
お金になるなら、その分、間伐が進む。伐ったものを運び出せば林内はきれいだし、災害の原因も減らせる。
・・・でも待って。それって何か違わない?
ほほう、何が違うだろうか。
間伐の目的って、将来良い森林になるように、良い材木がとれるように木を育てることだよね。大切なのは、伐った木よりも、残す木の方だったはず。
よし! 大正解だ。そこを忘れちゃいけない。
主はあくまで山にある木であって、間伐材はその目的のなかで生まれた副産物だ。もちろん、建築現場の足場用として需要があり、間伐材で採算がとれていた時代もあった。それでバランスが保たれていたが、それも昔のこと。
木を出せばお金になる現在の制度は、将来残すべき木までも伐ってしまう、雑な伐り方によって傷をつけてしまう、といった状況を招きかねないと、じぃじ先生達は心配なんだよ。
それが「荒い間伐」なんだね(→2016.8森林雑学ゼミ)。間伐が進んでも、その方向が本来の目的と違っては意味がない。
最近盛んになってきている列状間伐も、また気になるところだ。
人工林では木がきれいに列になって並んでいるけど、そのうちのこの列とこの列の木を全部間伐しましょうって、列単位で伐採していくってこと?
そう。作業としては機械での操作がやりやすいし、伐った場所が道になって搬出が容易という大きなメリットがある。効率化で、昭和40年代から盛んになった方法だが、現在は行政も推進している。
その方法だと選木ができないんじゃないの?
おお、冴えているねぇ。これまた大正解だ。
どんな林をつくりたいか、どんな材木をつくりたいか。そのビジョンのもとに残す木を選ぶ選木の作業は、間伐で最も重要な工程だ(→2016.8森林雑学ゼミ)。機械的な作業では、1本1本の木の良し悪しを見極めることは、もちろんできない。
見極めって、難しそう。何かマニュアルみたいなものがあるのかな。
それはあるさ。基本的に選木は山仕事のベテランが担う職人技だよ。
「間伐は人に任せよ」との言葉がある。自分の林は愛着あって自身では伐り惜しむので、信頼できる他人に任せよう、という意味だ。良い森林づくりにはそれくらいの覚悟が必要だね。
どれだけ機械化が進んでも、結局最終的なところで頼れるのは人間の知識と技なんだ。
そもそも間伐は、人間が作物を育て始めたときからの知恵。
英語ではthinning、薄くする、ボリュームを落とす。ドイツ語ではdurchforstungで、これは英語ではthrough forest。
空間をあけるということだね。森の風通しをよくするイメージ。
良い森林は長い時間をかけてつくっていくもの。
だからじぃじ先生としては、森林の安定性が高い長伐期で、適切なタイミングで適切な手入れをしていくという、長い目で見た森林経営が必要だと考えているんだ。
間伐の「間」には、物理的に空間を開けるということ、植林から木を伐るまでの「間」にやる作業という、2つの意味があるんだね。そうかぁ・・・深いなぁ。
|