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2010.06
森林雑学ゼミ
 

雨が森林を育てる、森林が文化を育てる

 

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倒木更新。倒れた木から芽が伸びる。





森厳――羽黒山にて





砂漠。確かに見通しが良い

 

 

 

 

 

 「ちょっと教えて」で、森林は降水量の多いところにのみ成立すること、その地球上の面積は、陸地の1/3、今や1/4に近づいていると言いました。
 そのなかで、日本という国は、全国土、森林が生育できるだけの降水量を持っており、国中どこへ行っても樹木や森林が見られます。開発が進んだとはいうものの、まだ国土の2/3が森林なのです。

 豊かな森林のあるところ、おのずからその影響を受けた文化が育ちます。
 日本文化は「木の文化」「森の文化」と呼ばれていますが、それは日本人が木材を潤沢に使ってきただけでなく、森林が国土の景観をつくり、国民の生活を護り、人々の心に繊細でおだやかな感情を植えつけ、それに基づいたものの考え方、すなわち思考を育ててきたからです。

 豊かな自然、森の中、周囲も頭上も緑に取り囲まれたところでの発想は、循環的です。
 例えば「死」についても、輪廻転生の思想が生まれます。森の中で、倒れた木の幹から、若い木が芽を吹いて育っているのを見たことはありませんか。これは「倒木更新」という現象で、「死から生」を感じさせます。
 あるお坊さんがこう教えてくれました。「往生」というのは、「向こうへ往って生きること」だと。
 緑に取り囲まれた森の中は直接生命の危険なし、自ら悟り自らの能力限界を知る。自分の力不足を補うために他力に依存することも可能、逆に他人を助けることも。「穏やかで平和」な思考と行動が生まれます。

 森羅万象に神を見出す思考の下に、古来の日本には八百万の神々が在りましたが、新しく伝わった仏教もそれを否定せず、共存の世界をつくりました。
 「山川草木悉皆成仏」の考え、山のこだまに木霊(木魂)の文字を与え、神社仏閣と木立・森は切り離せない。山岳宗教は比叡、高野、御嶽、出羽三山をはじめ各地に。奈良の三輪山、滋賀の三上山などは、山自体がご神体。鎮守の森も各地にくまなく。
 極めておごそかな様子をいう言葉は「森厳」と、森の字が付いています。

 地理学者の鈴木秀夫先生によれば、「見透しのきかない森の中で、迷い迷いしながら忽然と桃源郷に至るのが森林の思考」。
 日本人がよく使う「分からない」という言葉は、分かれ道で左右厳しく分けなくてもよい、の意味で、多肢選択、試行錯誤、修正可の思考回路が森林の思考、とか。
 このように、身の回りを耕せば何とか食える自然力豊かな森林地帯では、再生可能、共存、他力も当てにする、穏やか・温和な考え方が育ちます。

 これの正反対なのが、乾燥砂漠型思考です。
 砂漠は、死体も乾物になるぎりぎりの世界、頼れるは自己のみという文化といえます。
 森林内と違って、砂漠は見通しのよいところです。鳥瞰的に全体を見て、分かれ道では自己の判断でどちらか一つを選ぶことになります。誤りは許されません。
 プラスかマイナスか、右か左か、白か黒か、二者択一の二進法の思考。戻れない、厳しく冷酷で、直裁直決の思考回路でないと、自分自体が生きられないのです。
 中近東発生のこうした砂漠型思考は西進して、西欧型に発達しました。

 わが国は、明治以降、西洋文化を先進的と見て、思考回路も、湿潤森林型から乾燥砂漠(西洋)型に鋭意転換してきました。
 ところがその結果、鳥瞰的に大局を見るという西欧型の長所を置き去りにし、目先の黒白だけをつけたがる方向に進んだ感ありで、生まれたのは競争社会でした。

 砂漠の分かれ道の選択は、大局を把握して、生命の維持と共存が保障されたオアシスへの選択であったはずなのです。「辛抱する・我慢する」を含め、時間をかけることも許される多肢選択・試行錯誤式の問題解決が期待できるのは湿潤森林型思考の長所です。

 ・・・とすれば、大局を見定めて、個々の問題に柔軟に対応するというのが、両者の長所をとった理想的な思考、問題解決法だと思うのですが。


(c)只木良也 2010

 

 

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