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2011.07
森林雑学ゼミ
 

吉野、人工林の開祖

 

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奈良・吉野林業スギ300年生人工林





吉野林業の主生産物、スギの酒樽。
川上村もくもく館展示





人工林スギ・ヒノキ混交。
大阪・金剛山

 

 

 

 

 

 吉野は、日本の人工林の開祖です。(→2011.6.25ひとりごと)
 500年前に林業用スギ・ヒノキ植栽の歴史あり。ここ吉野を元祖にして江戸時代に、 日本全国にさまざまな形式の人工林が普及しました。
 吉野林業以前にも、古く万葉集に、木を植えることを詠んだ歌もありますが、それは街道筋宿場の修景用のもの。また、11世紀頃に高野山で造林の記録があるとも聞きますが、樹種はコウヤマキで仏様用のものでした。

 明治31年発行の『吉野林業全書』は、その時までの吉野林業の技術や知見を集大成した名著として有名な書物です。
 それによれば、16世紀初頭に始まった吉野の人工林は、江戸時代を通じて植栽、伐採が繰り返され、明治の前半までに、すでに人工林技術(標準的な例)が完成されていたことがわかります。

 それは・・・

 1町歩(≒1ha)あたり10,000本植栽、スギとヒノキ混植、土壌の良い土地にはスギ、悪いところにはヒノキの混交歩合を増やす。
 伐期(最終皆伐)は100年。14〜15年生から間伐開始、主伐までに13回の間伐。
 初期間伐の細材は磨き丸太、中期間伐材は一般用材丸太、終期間伐・主伐材は吉野林業の主たる生産目的であった酒樽用大径材、
 
・・・といった具合。見事なものです。

 吉野を元祖として、人工林林業は江戸時代に各地で盛んになります。
 それぞれの地方で、植栽の疎密、伐期の長短、間伐の強弱、枝打ちの強弱などの組み合わせの違う、特色のある体系が生まれ、育っていきました。
 その中で、共通の森林管理の基本は「伐ったら植える」ということ。その鉄則はそれぞれの人工林林業地で踏襲されて行きました。

 こんな話があります。
 江戸中期に『古事記伝』を著して有名な国学者・本居宣長は、古事記に出てくる古語を解説する中で、「つぎねふの」という「山城」に掛かる枕詞を、「山」すなわち「森林」に掛かるものだからと「継苗生の」の字を与えました。すなわち、「木の苗を植え継いで」の解釈です。
 古事記の時代には人工林林業はなかったのですから、宣長の解釈は誤り、うがった解釈、ということに、もちろんなります。
 しかし、この話から、江戸中期には「伐ったら植える」ということが常識化していたと、私は理解したいのです。

 明治時代、天竜川の治水に力を尽くした金原明善という人は、治水の基本は治山にありと水源地帯の森林造成に私財を投じて努力します。このとき彼が山に植栽したのはスギでした。
 これは、スギについては大規模に造林するだけの技術体系が、江戸時代を通じてすでに完成されていて、安心して植えられることが第一。
 また、育成する間の間伐材、数十年後の主伐材の収入が予定でき、それをまた山に戻せると考えたからに違いありません。
 その金原造林地の一部は記念林として残され、今も水源涵養に働いています。
 


(c)只木良也 2011

 

 

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