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2012.10
森林雑学ゼミ
 

メタセコイア、そのおいたち

 

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メタセコイア並木。森林総研関西支所。





メタセコイアの枝葉





センペルセコイアの枝葉


 

 

 

 

 

 前回のテーマ「針葉樹」。「生きている化石」なんて言葉が出て、巨大な針葉樹「セコイア」の話にもおよびました。(→2012.9ちょっと教えて森林雑学ゼミ

 その際、世界最高樹高(112m)のセンペルセコイア、世界最高材積(1,487m3)ギガントセコイア、また、「世界翁」の当て字を紹介しましたが、わが国でセコイアといえば、「メタセコイア」の方が有名かもしれません。
 和名はアケボノスギ、でもメタセコイアの方が通りは良いでしょう。
 なぜなら、メタセコイアは、わが国で発見された「生きた化石」であって、昭和30年代に記念樹などとして植栽するのが大流行した樹種だからです。その歴史をちょっと見てみましょう。
 なお、センペルとは「常緑の」、ギガントとは「巨大な」、メタとは「後の・従来のものとは異なった」といった意味(ラテン語)です。

 セコイアの化石は、世界中で第三紀層(7000万年〜100万年前)から見つかっていましたが、そこへ、三木茂氏(当時、大阪市立大学教授)という人物によって新たな展開がもたらされました。
 三木氏は、兵庫、和歌山、岐阜県下などで見つかった、比較的薄い粘土層内にある植物遺体に着目し、従来知られているセコイアとは違い、もっと古い樹木であることを発見。メタセコイアと名付けて発表しました。時に、1941 (昭和16) 年、太平洋戦争勃発の年のことでした。

 大戦が終わった1945年。不足した木材資源を確保するための森林調査の折、中国・四川省の奥地で、樹高35m、直径2.3mという、御神木扱いの未知の大木が発見されました。
 この大木が、三木氏がいうメタセコイアの生木だと判明するや、アメリカのメリル博士(ハーバード大学)の主導で、詳しい調査とタネの採取を実施。その後、湖北省に自生地が見つかり、1948年にアメリカでメタセコイアの育苗が始まります。

 翌1949年、皇居内に発芽2年目の苗木が植栽されました。これは、アメリカから贈られたもの。
 戦後まもなく、敗戦国へ戦勝国から、それも貴重な育苗第一期の苗が持ち込まれるという異例の事態は、「発見国」への敬意と、その国の代表である昭和天皇が生物に造詣深かったことによると言われています。
 その後、日本ではメタセコイア保存会が設立され、1950年春に寄贈された苗木100本は京都大学農学部が管理し、北海道から九州に至る各地に植栽して、成長状態を見ることになりました。

 その皇居に植栽されたメタセコイア。当初の樹高は37pでしたが、翌年には1.3mに、7年後(1956年)にはなんと、樹高7.2m、幹周囲36cmにまで生育したのだとか。ものすごい成長ぶりです。
 この点や「化石の木」という話題性、落葉樹で春の芽吹きや秋の黄葉が見事であること、何より、挿し木が簡単で、成長が良く安定していること。これらが昭和30年代のメタセコイア・ブームの要因でしょう。
 樹種としては貴重だったものの、記念植樹用として、また公園樹・街路樹として、あちこちに植栽されました。

 その一方で、成長の早さを利点に考えられた木材用としての利用は拡大しませんでした。山地の造林の試みもありながら、繊維が短い点が木材には不向きであると、早い時期に明らかとなったためです。
 もっとも、現在では、その美しい木材の表面を活かした利用が進んでいるという話もあるようですが。
  
 スギ科メタセコイア属メタセコイア(和名:アケボノスギ)。
 メタセコイアの成長を祈って、「芽出せ肥えや」と称した人もあり――。
 




(c)只木良也 2012

 

 

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