今さら言うまでもありませんが、「木」というものは幅広い働き・用途で、人々の暮らしを支え、潤しています。
仏像の材というのも、重要な用途のうちのひとつです。国宝級の高名なものから名もなき路傍の像まで木を材とするものは多々。そのなかで、私が興味津々なのが円空仏です。
写真を見れば、誰もが「ああ、あの仏さん」と思いあたることでしょう。その多くは、木材を断ち割って丸彫りしたもの。表面には色や漆など何も塗らず、木材の節や彫り進んだ鑿の跡がそのままに。一見して材料が木であることは明らかで、彫ったというよりは、木の中に潜んでいた仏様を取り出したかの印象を受けます。
つくり手は円空。江戸時代1632年、美濃国(現、岐阜)に生まれ、法隆寺(奈良)、園城寺(滋賀)はじめ数多くの霊山で修験、近畿から北海道まで諸国を行脚。1695年に没するまで、民衆のために仏像を彫り続けた僧です。
その円空仏の特別展覧会へ出かけてきました。
居並ぶ像のなか、まさに「木材ならでは」というのが「不動明王および二童子立像」。高さ1mほどの立像3体は1本の丸太から成ります。縦に三つ割りし、木の表皮側で不動明王、木心側で2体の童子を彫り、3体あわせればもとの丸太になるという仕掛け。
また、高さ2mの「金剛力士(仁王)立像」は、地面に生えたままの立木に直接彫刻されたと言います。
円空の彫像の多くはスギやヒノキですが、この「金剛力士立像」は、他のものとは木目・材質感が違いました。よくよく見れば、像の下半身にそのまま残っている枝痕の様子は広葉樹のもの。ケヤキとも思ったのですが、後で調べてみたら、センノキ(ハリギリ)でした。
センノキは仏像の材としては珍しいかもしれませんが、彫刻材料、家具材などとして使われてきました。
明治45年出版の農商務省山林局編『木材の工芸的利用』という、古来の木材用途を記した書物には、「光線ノ呼ビ方柔ニシテ刀痕判明セザルヲ利用ス:置物彫刻」とあります。すなわち、光の反射はやわらかで、刀の痕をはっきり見せないという特性は、置物・彫刻の材にふさわしい、と。
ちなみに、わが国仏像の用材は、大陸から渡来当初は香木(例えばクスノキなど)が尊重されましたが、奈良時代からヒノキの良さに気づき、平安時代にはヒノキが主流となりました。ヒノキの良さとは、材に狂いが少ない、あまり固くない、色にむらがない、春秋材に差が無く年輪がはっきりし過ぎない、などといったことといわれています。
諸国行脚の道中で、その土地産の樹木を材料に仏を彫り、その土地に残してくる・・・それが円空のやり方だったそうです。
この、行く先々でその土地の木を彫るということ。ある意味、今よく言われる「地産地消」です。しかし決定的に違うのは、円空仏の場合、その“産物”が「消費」されることはないということ。長きにわたって人々に崇拝され、いつまでも保存されるのです。
ここで大切なことに思い至ります。それは、樹木が二酸化炭素吸収物であること。そして、それが長らく保存されるということは、木が炭素を貯留したままの状態にずっとあることという点です。
こんな視点を円空仏にかこつけるのは、やり過ぎかもしれません。しかし、円空のやり方が理想的な木材の使い方であるということは、「エコ」的に確実に言えるのです。
(c)只木良也 2013
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