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2015.04
森林雑学ゼミ
 

里山に竹林攻め上る

 

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山の上まで。京都東山南部、2014年

 

 

 

 

 

全国竹の会によるタケ製品展示。2014年

 

 

 

 

 

こんなタケの使い方も・・。

約120mの長い建物、入口を除いて道路側全面にタケが。ちょっと特殊な景観。

大規模造園的使用の例、京都大学稲盛記念館


 

 

 

 5年半前、里山の話題(→2009.9森林雑学ゼミ)でスタートした当サイト。その里山でタケが勢力を拡大していると、たびたび触れてきました(→2010.72011.8ちょっと教えて2010.7森林雑学ゼミ)。
 この問題、とどまるどころか、全国でさらに拡大しています。先日訪れた山口県周防大島でも再認識しました(→2015.3.25ひとりごと)。

 

 里山にタケの姿が目立つようになったのはそんなに古いことではありません。
 昭和30年代からの石油燃料や化学肥料の普及で、燃料や肥料材料採りの人手が入らなくなり、放置された里山に、タケが入り始めました。
 雑木林などに、タケは地下茎で侵入、芽を出した筍は、20日ほどであの高さに伸長、里山の背の低い樹木にしてみれば、ハッと気がついたらタケの葉が既に頭上に展開して日光が当たらない、といった状況。
 こうしたことから現在、里山のタケ林拡大は「タケの侵略」であり、タケを敵視することが多いようです。

 しかし、タケは悪者なのでしょうか。
 本来、タケは日本の里山の重要な構成スタッフであったはずです。
 それが、時代の流れとともに、里山の利用放棄が進む一方で、タケの素材としての用途はプラスチック等に取って代わられ、筍栽培は労力と利益が見合わないと衰退し・・・そんなことが重なり合って、無手入れの文字通りの「竹藪」が拡大したというのが、現在に至るまでの経緯です。

 

 考えてみてください。タケは里山の構成物、古くから日本文化を支えてきました。
 めでたい植物三種といえば松竹梅、「竹を割ったような」といった慣用表現、俳句の季題にも、竹の秋(タケは春落葉)、竹皮を脱ぐ(夏)、竹伐る(旧暦8月適期)、竹の春(紅葉の中の緑)・・・。
 むかし話にもよく登場します。かぐや姫はタケから生まれ、舌切り雀のお宿は竹藪のなか。
 小僧時代の一休さんにはこんな話。お寺の庭のタケの地下茎が伸び隣の武家屋敷に筍を。屋敷ではこれを掘り取って鍋で炊き「忍び入りたる不届き者、手打ちに致した」と通告。悔しく思った一休さんは出向いて「手前どもは寺、せめて亡骸の供養を」と筍が今まさに炊かれている鍋を持ち帰った、とか。
 また、良寛様は、縁側の下に芽を出して頭のつかえた筍に「おや、かわいそうに」と縁側を丸くくり抜いてやった、とか。
 ほら、どうでしょう。古来、日本人は、里山のタケと仲良く付き合ってきたのです。

 

 西洋には、タケは分布しません。タケのある風景は、いかにも日本らしいもの。
この、いわば日本文化のサポーターとして長らく付き合ってきたタケを、厄介者扱いしていいものでしょうか。

 「放っておけばはびこる」というのは、繁殖力が強いということ。これを上手くコントロールして、物質資材として、食料資源として、文化資源として、景観として、活かす、そんなことを考えたいのです。
 たとえば、割箸も筍も、中国産が目立ちますが、これらは「国産」でまかないたいもの。
 また、タケの炭はなかなか良質で、燃料としてではなく、消臭、調湿、空気浄化、水質浄化、いろいろな用途があり、土壌改良剤としても有効です。タケを原料につくる紙は、かつて辞書の紙のような良質紙として期待され・・・。

 要は「自分たちのものを活かす」工夫ということ。
 なじみ深い関係のタケだからこそ、その仲を、これからもずっと続けていきたいと思うのです。

 

(c)只木良也 2015

 

 

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