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2016.02
森林雑学ゼミ
 

森林「開発」についての教育

 

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森林ESD活動報告・意見交換会。

森林にまつわるあらゆる物事を、どう伝えるか、どう教えるか。

 

 

 

 

 

 

人間のため、森林環境のため。

“development”という言葉の解釈には、とことんこだわらなくては。

 

 ESDという言葉をご存じでしょうか。
 “Education for Sustainable Development”、その頭文字をとったもので、「持続可能な人間社会の実現に向けて行動を変革するための教育」と定義されています。故にすなわち、「森林ESD」を一言でいえば「森林をフィールドとする環境教育」です。

 先日大阪で、その森林ESDについての会が林野庁、環境省、大阪府の関連団体らによって催され、児童から一般市民まで様々な世代を対象に、NPO、各種法人、企業、自治体、教育委員会などが実施した、教育・体験プログラムの報告、意見・情報の交換が活発に行われました。

 さて、この会に参加の私が気になったこと。それは当日幾度も、講評でも耳にした「開発」という言葉でした。
 「開発」、先に挙げたESDの“development”を日本語に置き換えたものなのですが。

 この訳・解釈には要注意と、私は以前から唱えてきました(→2012.8森林雑学ゼミ)。
 「開発」を「山野を切り開き産業を興すこと」と説明する辞書もある日本だからです。森林を語るに、その意味で捉えることは、本質から大いに外れるのだと。

  ESD のSDにあたる“Sustainable Development”は、1992年の国連地球サミット(ブラジル)でのキーワードでした。「(人間社会の)持続的発展」を示すもので、そこでdevelopmentは「発展」の意味で使われていたはずです。それが日本に持ち帰られるや、「持続可能な『開発』」と訳され、政府文書等にも記載されたのでした。

 この場合の「開発」を、関係者や専門家たち全てが「山野を切り開き産業を興すこと」の意味で使っているとは、もちろん思いません。
 しかし、その訳語を耳にした一般の方々はどう解釈するでしょうか。
 「開発」という言葉の印象としては、やはり「山野を切り開き産業を興すこと」が強いでしょう。Developerといえば「開発業者」のことを意味するのですから。

 とすれば、「持続可能な開発」が、「いつまでも開発を続けること」と短絡的に解釈されるであろうことは、推測に難くありません。 もっといえば、そう解釈し、もっと強調して、事業を強引に推し進めたい人も多いのではないでしょうか。悲しいかな、それが現実であり、それは言うまでもなく森林にとって大きな脅威です。

 先の意見交換会でも、ESDが「持続可能な『開発』のための教育」と説明されていました。もっとも、当日参集したのは大なり小なり「森林組」なので、あの場でその誤解・心配はなかったでしょうけれど。
 かねてより抱いていた心配と懸念がなお継続中、いや余計に膨らんでいるような気がするのです。
 先月取り上げた南山城村のソーラー発電「開発」でも懸念したことですが(→2016.1ちょっと教えて)、この誤解を抱えたまま「持続可能な開発」が良しとされ、どんどん推進されるようなことになったら・・・。
 これは専門家として、声を大きくして広く伝えていかねば。森林「開発」についての教育の必要性と緊急性を、今強く感じています。

 




(c)只木良也 2016

 

 

   



 

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