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2016.04
森林雑学ゼミ
 

「景観」は尊重すべき人間文化

 

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国立公園シリーズ「鞆の浦」、1939年発行。

 

 

 


整った段々畑と背景の山々が一体化。

奈良・明日香村。

 

 

 


人々の祈りの場、山の木々にとけこんで。

奈良・桜井市、談山神社。

 

 


 

かやぶき屋根が並ぶ。京都・美山町。

 


 

  瀬戸内海国立公園、広島県福山市の鞆の浦(とものうら)。古くからの「潮待ち、風待ちの港」として、古い船着場・常夜灯・街並みなどが残るところ。
 この地に、交通混雑の解消などの目的で、広島県が、浜の一部の埋立て、港内を横断する架橋、駐車場造成などの計画を立てたのは1983年のこと。しかし、生活の便利さよりも古来の景観をという住民の声も高まって、訴訟にまで及んだ30余年来の賛否論争の末、2016年2月、計画は撤回されました。
 過去には、「都市化・近代化」をめざして、「生活の便利さ」が優先されるのが常。「景観」は開発に反対する理由として、それほど有力なものではありませんでした。
 転じて、今回の鞆の浦の例は、古来の人々の営みが生んだ一度壊せば取り戻せない文化景観を、地元住民の力で保全した貴重な実例だと思います。歴史的景観は住民の、そして国民の財産なのです。

  ところで、「景観」。よく耳にする言葉ですが、そもそものところ、どういう意味なのでしょう。とりあえず、手持ちの『広辞苑』をひいてみます。

【景観】
@風景外観。けしき。ながめ。また、その美しさ。
A自然と人間界の事とが入りまじっている現実のさま。

 Aの意味に、注目です。
 「景観」は、明治の植物学者三好学博士が、Landschaftというドイツ語の日本語訳として使ったといわれます。単なる景色・風景にとどまらず、それを構成する様々な要素が絡み合って作り出した総合的イメージを表現するもの、として。
 自然景観や文化景観は耳になじんでいる語ですが、人間関与の匂いが強く、人間の様々な土地利用の結果生み出された景色、という意味で使われています。

 「最良・最適の土地利用はそこに最高の景観を生む」。

 かつてドイツを訪れたとき案内してくれた、さる政府高官の言葉を思い出します。
 これは、自然の仕組みを壊すことなく、自然の法則に沿った人間活動で生まれる景観こそ最高であり、理想だという意味と理解しました。さらには、こんな話も。
 この訪問は、今から40年前の経済成長時代。当時のドイツでは森林面積が増えていると聞きました。その用途には感心あるのみ。
 経済成長に伴い増加する労働人口、その人たちのレクリエーション用途をはじめ、生活環境向上のための森林増であり、そのために畑・牧場などの農地を、本来の自然の森林に戻しているというのです。
 その高官いわく、「労働人口を支える食糧は、EC(ヨーロッパ共同体/当時)があるから輸入可能。だが、森林は輸入できない」と。

 「人の土地利用が生むのが景観」とすれば、里地里山・農山村風景は、これぞまさに人間の生活から生まれた「景観」です(→2009.9森林雑学ゼミ)。
 しかし今、その直接の利用がなくなって様々な「開発」(→2016.2森林雑学ゼミ)が進行中。果たして、これでいいのでしょうか。現行の「開発」は、今日重視されている「地方創生」とは、どうも方向が違うように思うのですが。
 里山文化景観を、もっと大切に・・・。
 都会型消費社会の反省、自然の仕組みを活用した循環社会への復帰が、世界的な話題になりつつある今こそ、必要であるのです。

 




(c)只木良也 2016

 

 

   



 

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