丹波の豊かな森林のシンボル、 芦生のスギ天然林。
京都林大生登場。バイオリン演奏とともに。
式典会場は、北山スギなど木材を多用して。
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「古い都」だけでない京都のキャンペーン「もう一つの京都、行こう!」の一環、「森の京都」(→2016.7ちょっと教えて)。日本海まで続く細長い京都府の真ん中部分、丹波と呼ばれる地域を中心に展開されてきた様々なイベントも、いよいよクライマックスを迎えています。
10月1日の「SEA TO SUMMIT 由良川・大江山」における環境シンポジウムもそのひとつで、私はそこで「森の恵み〜森・里・海のかかわりを考える」と題して講演。
かつて、文明とは「都市化する」ことであり、それを支配したのは「足りない物は外から持ってくる」という考えでした。しかし、この消費型社会の先行きは見えた、と世界のあちこちで問題視され始めます。ついては、森・里・海を通じた自然の大循環こそ大切。それを尊重し活用するところ(循環型社会)にのみ、人間社会の将来持続は可能となるわけで、自然のシステムの典型的な、いわゆる代表例は言うまでもなく森林です、と論じてきました。
そして翌週、10月8〜9日、当キャンペーンの根幹である第40回全国育樹祭が行われました。
太平洋戦争後、国内の荒れた山を緑に戻そうと始まったのが「全国植樹祭」。そこで天皇皇后両陛下が山に植栽された「お手植えの木」を、後年、皇族が「お手入れ」されるのが「育樹祭」です(→2016.7ちょっと教えて)。
今回の育樹祭は、「育樹の輪 ひろげる森と 木の文化」をテーマに、行事も盛りだくさん、「お手入れ行事」「国際シンポジウム」「懇談会」「式典行事」[全国緑のこどもサミット」[森林林業環境機械実演会]・・・。
8日、宇治市山城総合運動公園では、第42回全国植樹祭(平成3年)にお手植えされた北山スギとシダレザクラを、皇太子殿下がお手入れされました。植えっ放しでは健全な森林は育たない、「育てる」ことが重要であること、また、親から子どもへ受けつがれるほど長い時間が必要であることを、何よりも物語るイベントです。
同日、亀岡市での、カナダからの招聘者を交えたシンポジウムに続く懇談会では、殿下とお話しさせていただく機会も。新設の林大で次代の林業を担う若者たちを育てることに意義を感じていることを申し上げたところ、「期待しています」とのお言葉をいただきました。
その「次代の林業を担う若者たち」、すなわちわが京都林大の学生たちは、今回、「お手入れ」の介添え役、翌9日の式典の垂れ幕持ちなどを務め、そして森林林業の後継者として登壇して将来への決意を述べるなど、大活躍してくれました。
その働きもさることながら、終了後に「俺たちがやらなければ・・・」と意欲的な感想をもったという彼らの、なんと頼もしいこと。なお式典には、林大卒業生で近在の者も十余名出席し、在校生と行動を共にしていました。
京都府は府面積の75%が森林で覆われており(全国平均は67%)、なかでも「森の京都」のエリア、府の中部(丹波地域)は特に豊かです(→2016.7ちょっと教えて)。
そんな丹波地域は、京都市内で生まれ育った私が、戦時中に学童疎開していた場所でもあります。その地に70年を経て赴任し、そこで人を育て、森林を育てる仕事にかかわっていること。これにも、長い時の流れのなかで、何かの因縁を感じます。
「お手植え」の樹が、次の世代によって「お手入れ」されること。今回の育樹祭は、改めて森と木の文化を維持していくことが重要で、そしてそれを訴え続けることが、私たちの使命であるという思いを強くする機会となりました。
(c)只木良也 2016
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