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2017.09
森林雑学ゼミ
 

ドイツに学んだ日本林業

 

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ドイツトウヒの葉

 

 

 

 

 

北桑田高校

 

 

 


 

JR和知駅

 

 京都府立林業大学校2年生は、毎年の初夏、ドイツへ研修旅行に。本年も5月から6月にかけて、1週間ほどの短期間ながら、ドイツの森林・林業に接してきました。なかなか勉強になった様子。
 「なぜ、ドイツなのか」と問われれば、答えは、「林業において、ドイツは『先進国』だったから」(→2017.6森林雑学ゼミ)。何事も西欧にならおうとした明治時代の日本にとって、ドイツはお手本となる大きな存在でした。
 もちろん、わが国の林業は歴史も古く、基幹産業のひとつでもありました。しかし、鎖国の江戸時代、15世紀から人工林化も進行していたとはいえ、自給自足の日本では、森林も用材伐採・里山利用が過度に進行して荒廃。続く、明治の文明開花期には、地方ごとに特色のある伝承的技術は経験蓄積としては豊かであるものの、総体的な「学問体系」的なものは存在しませんでした。
 そこで、その近代化に向かって、ドイツを見習ったというわけです。

 ドイツは、14世紀に開始された針葉樹造林がその後拡大、16世紀には、鉱工業はじめ諸産業の燃料用木材消費が増加し、それに対応する森林行政機関も発達しました。18世紀には林務官養成学校、19世紀に林業専門学校、諸大学に林学講座が誕生し、技術後継者養成体制の充実。と同時に、学問体系も完成。そうした一連の動きを、文明開化を目指す明治の日本の林業はお手本にしたのです。
 技術が、単に経験的なものではなく、学理的根拠に基づいていることの重要性は、言うまでもありません。「生態学」という分野がありますが、林業もそのベースのひとつであると、わが国が考えるようになったのは戦後しばらくしてのこと。一方、ドイツにはそれよりもはるか昔、戦前にすでに「生態学を基礎とした」という副題の付いた林学の教科書があったと聞いています。

 では、見習ったのは具体的にどのような点だったのでしょうか。
 たとえば「法正林」。これはドイツ林学を代表する思考のひとつですが、植栽から伐期に至るまでの各林齢の林分が等面積に、適正に配置され、毎年一定量の木材を永久に供給し続けうる、すなわち持続可能な森林経営の林業地域のこと。あたりまえのことと言ってしまえばそれまでですが、これこそ目指すべき理想像に違いありません。
 また、「択伐林」。多様な年齢の樹木が多層をなし、伐採は上層木から順次、伐採で生じたギャップには種子が落ちて天然更新するというもの。つまり、材の蓄積量は一定に保たれながら、比較的小面積で経年的に収穫が得られる施業であり、理想の林業体系としては広く受け入れられました。
 ただし、ドイツと日本とでは、気象条件が大きく異なります。降水量多いわが国では、下層植生が豊かで目的樹種の天然更新が難しく、人工植栽を試みることもありましたが、あまり普及しませんでした。

 そんな林業先進国・ドイツを象徴する樹木がありました。ドイツトウヒです。明治以来、林業を標榜する役所、施設、学校などにシンボルツリーとして植栽することが、一種の流行であったようです(→2009.12ちょっと教えて)。私の周囲にも何本か。
 古くから林業コースをもつ京都府立北桑田高等学校の玄関前に植わっていました。京都大学の芦生研究林(旧演習林)の中、スギ天然林に囲まれた長治谷実習宿泊所跡、ヒノキの聖地・木曽赤沢の旧森林鉄道起点近くにも(→2009.12ちょっと教えて)。
 そして何より、京都林大の所在地、京丹波町のJR和知駅前にも。ここは、かつて丹波の木材集散地として繁栄したところです(→2014.3.12ひとりごと)。
 こうした流行の真の要因が、お手本としたドイツへの敬意から・・・か、どうかはわかりませんが、少なくとも、ドイツトウヒは、ドイツとわが国との大きな関わりを今に伝えてくれています。



(c)只木良也 2017

   



 

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