旧炭焼き山、アカガシ萌芽林
今も残る、炭焼き窯の跡
アカガシの古株
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先日、滋賀県北部の山門(やまかど)水源の森を話題にしました(→2011.7.21ひとりごと)。
湿原を取り囲むアカガシの林、それは昭和30年代まで、炭焼きの盛んだったところ。材質の硬いアカガシは良質木炭の材料として最適でした。
火を扱う炭焼きには、湿原が近くにあることは好ましく、湿原はまた、材料・製品の運搬路としても使われました。丸太を横に並べてその上をソリで運ぶ、木馬(きんま)と呼ばれる方法で。
山の中の炭窯で焼かれた炭は、びわ湖畔の大浦港から京阪神へ湖上輸送されたのです。
ところで、「薪炭林」という言葉があります。
薪や炭、つまりかつての熱エネルギーの主役を生産する、主として広葉樹から成る森林のこと。計画的に運営されるときは、一般木材生産林よりは伐期短く(通常20〜30年)、萌芽更新による株立ちの林、というのが一般的な理解です。
それはその通りなのですが、そう言うと、ついつい「同じ林から、薪も採る。炭も採る」と思いがち。
実のところは、姿形はほぼ同じだが、薪を採る林と炭材を採る林とは別々、というものでした。
大きく分ければ、農家・集落周辺が薪採り用、それより少し離れ、奥山に踏み込んだところが炭焼き用です。
炭焼きには、現地に炭窯を造ります。そこに寝泊りして日数をかけて焼き上げ、製品化した木炭を運び出すのが普通でした。
人間活動が活発になる、そのエネルギー源として森林の伐採も拡大、森林荒廃・・・というのは一般的に描かれる図柄ですが、「炭焼き山」は違います。
炭焼き用の林は、20〜30年ごと(高級炭材では10年以下の例もあり)に伐採されます。
しかし、木炭に適したナラやカシの類は萌芽しやすいために植栽の必要がなく、たとえ皆伐に近い伐り方をしても、林地が裸地化することはありませんでした。そもそも炭焼きで1回に伐採する面積は小さいものだったこともあって。
こうして、長年に及ぶ人と森林の付き合いの結果として、巧まずして自然と人間との共生的構図は生まれました。
つまり、林が正常に運営・利用されている限りは土壌浸食も起こりにくく、地力も維持されて、森林の生育、水源涵養、国土保全上も問題はなかったのでした。
もちろん、過剰な利用で禿山化したケースもあちこちで見られましたが。
大局的に言えば、このシステムは、自然の保護、もちろん生物多様性保全、環境の保全、資源の永続性などの点で優れたもの。
このことは、私の第2の恩師・吉良竜夫先生も指摘されています(著作集第1巻)。
流行の言葉で言えば「エコ」だったといってもいいと思うのです。
(c)只木良也 2011
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