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2013.04
じぃじ先生 ちょっと教えて
 

お伊勢さんの「御遷宮」があるんだって。

 

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うわぁ、神々しい。

式年遷宮の大きな看板、近鉄京都駅にて。

 

 

 

 

 

平成5(1993)年に御遷宮された、内宮正殿。

お伊勢さんの屋根は、この形が特徴。

 

 

 

 

 

今回の御遷宮予定地(2004年撮影)。

ここに新たな社殿が建つ。

 

 

 

 

 

宇治橋の鳥居。

社殿から宇治橋に、第二の人生中。

 

 

 

 

 

じぃじ先生のお気に入り、木曽ヒノキ林。

うーん、森厳!

 

 

 

 

 

 

宮域林。ヒノキと広葉樹が山を半分こ。

 

 

 

 

 

宮域林のヒノキ人工林。

見込みのある木を大事に育てる。

これも何十年後、何百年後に、お伊勢さんのお社になるんだね。

 

 

 

 

 

 

 

 
駅に、伊勢神宮式年遷宮のポスターが貼ってあったよ。

 

今年、平成25(2013)年は御遷宮の年で、62回目だそうだ。

 

社殿の建て替えは20年に一度なんだよね。

 

そう、約1300年前、天武天皇が定め、持統天皇の治世4(690)年を第1回として、以来20年ごとに行われてきた。

 

690年スタートで20年ごと・・・あれ? 計算が合わない。

 

あははは、確かに。初めのうちは19年ごと、数え年で20年という実施だったらしい。それに15〜16世紀の戦国時代には100年以上中断したという。

計算は合わないのは当然だ。

 

そうだよね。戦国時代はそれどころではないね。でも長い歴史、それ以外にもいろんなことがあったはずじゃない。
なのに、7世紀から今まで続いているって、すごいなぁ。

 

そうだね。それも「続いてきた」だけでなく、その内容もほとんど、1300年前の制度発足の時に決められた通りだというよ。

正殿などの建物を造り替えるのはもちろん、神様の衣裳である御装束、正殿の装飾や器物といった神宝も、全て新調するという。 そして、御神体を新しい宮へうつすのだそうだ。

 

でもね、20年ごとに建て替えるって、もったいない感じがする。法隆寺なんか、1000年以上も前の建築物でしょう?

 

それ、思う思う。御遷宮1回につき必要なヒノキは13,800本、しかもいずれも最高材で、というから確かに贅沢な話だ。もったいないと思うのも無理はない。

ただ、実は建て替えた後、古材には第2、第3の人生がある、というのを考えればどうだろう。

 

第2、第3の人生・・・。あ、他の場所で使われるんだった!(→2009.11.11ひとりごと

 

よく思い出しました(笑)。そう、古材は直ちに廃棄されるのではなく、その後に使い途がある。

例えば、内宮外宮正殿の棟木を支える柱(棟持柱)は、解体後、内宮・宇治橋の鳥居に、さらに20年後には、鈴鹿峠の麓「関の追分」と桑名「七里の渡し」の鳥居に使われる慣わしだ。

 

さらに20年後って、次の御遷宮ってことだよね。

 

だから棟持柱として20年、宇治橋の鳥居として20年、鈴鹿と桑名の鳥居として20年、少なく見積もっても60年は使われるということだ。 他の古材についても、末社の他、全国の神社の建て替え用材になる。

何しろお伊勢さんの材。人気が高くて、順番待ちは大変らしいよ。この他、神棚等にも使われ、小さな端材はお札に再生・・・といった具合だ。

 

ものすごい由緒あるリサイクルとリユースだよねぇ。

 

本当に。1000年来のエコと言えるね。

 

高級なヒノキが存分に生かされているんだ。

 

日本は、世界一の建築材・ヒノキをもっていた国。1300年前に、その優秀性を知っていたのもすごい話だと思うね。

そして、日本人がもつ潔癖・清潔感が、ヒノキという清浄な材、白木造り、に結晶したものといえる。

 

20年というのは、技術の伝承が理由にあったよね。師匠から弟子に受け継ぐ期間だって(→2009.11.11ひとりごと)。

 

他にもあるだろうけど、それがひとつ大きな意義だろう。

今よりずっと人の寿命が短かった時代、技術を師匠から弟子へ、そのまた弟子へと技術を伝えて行くには、20年は適度な長さだったと思われる。

 

そうだよね、20年以上空いてしまったら、ベテランの宮大工さんがいなくなっちゃう。

 

何も建築だけの話じゃないよ。新調するのは御装束や神宝もだから、そうしたものづくりの技術全てに関わること。

 

そっかぁ・・・。 そういえば、木曽の赤沢で御用材の伐り株を見たよね(→2009.9ちょっと教えて)。いつも木曽のヒノキを使っているの?

 

御遷宮用のヒノキは、木曽谷の産だ。 始まった当初は神宮神域から伐り出していたが、たちまち不足してしまい、各地を転々とせざるを得なかった。

建築用材を伐り出す山のことを御杣山(みそまやま)と言うが、木曽が岐阜県の林とともに御杣山になったのは、1380年(第36回)から。

1709年(第47回)以降、江戸時代には尾張藩の管轄となり、明治以降には御料林(皇室所有)となったが、その間のずっと役目を担ってきた。

 

罰則は「木一本、首一つ」だっけ? だから、江戸時代から木曽のヒノキは大切にされてきたんだね。

 

お、よく覚えているな。木曽谷に8,000haの神宮備林が制度として整ったのは明治42(1909)年。将来の御用材としての大樹を選定し管理経営するようになった。

その制度は、御料林が国有林になった昭和22(1947)年に廃止されたが、備林の一部は今も保護林となって存続しているんだよ。

 

そういえば、どこかのお寺の建て替えで、日本国内にはいい材木がないから台湾から運んだという話があったよね。
良質のヒノキ不足は深刻なのかな。

 

奈良の大仏殿や薬師寺の改築のときの話だね。

そう、ヒノキの調達はなかなか大変。寺社建築に用いるような立派な材となると、なおさらだよ。

 

木曽の山、責任重大だね。いいヒノキが育たないとご遷宮ができなくなっちゃう。

 

まさに、そうなんだよ。ただ、今、伊勢神宮でもヒノキの人工林整備に力を入れている。将来を見込んでね。

 

お伊勢さん自らが、御遷宮用のヒノキを育てるようになったってこと?

 

そう。内宮に隣接して5,500haの宮域林があるんだが、そこではかつてヒノキが生育していて、さっき話したように御遷宮の始まった当初はそこから伐り出していたんだ。

ヒノキが伐採され尽くして後は広葉樹林になっていたが、江戸時代には、今度は参拝客の燃料用に伐採され尽くし、明治初めには禿げ山状態だった。

 

ええ!? 神宮の森がなんて悲しい・・・。

 

禿山になれば崩壊があり、洪水が起こる。そこから、これではいけないと緑化計画が進められたんだ。

今では立派な林になって、伊勢神宮の雰囲気づくりに大いに貢献しているよ。

 

「森厳」だね、その雰囲気って。(→2010.6森林雑学ゼミ

 

そうだね。そしてこの森は、半分はヒノキ人工林(200年伐期の計画)、もう半分は、常緑広葉樹林化に任されたんだ。 神宮の森林・樹木専任の営林部が管理している。

 

じゃあ、いずれはそのヒノキで御遷宮が行われるってことだ。

 

うん。人工林(植栽林)の中でも特に有望なのを「将来木」として40〜50年生のときにマークし、それに悪影響を及ぼしそうな樹木を間伐するというやり方をとっている。 目標は、200年生時に直径60〜100cmのヒノキを、haあたり100本収穫すること。

しかし、計画としては200年後だが、今回の御遷宮でも、その一部、100年生に近くなった人工林の間伐材が使われるそうだよ。

 

それ、なんかちょっと嬉しくない? 「自分で」できるって。

 

あははは、確かに。

「自分で」といえば、以前、見学に行ったときに見た林道脇のケヤキ。てっきり景観用だと思っていたら、「このケヤキは将来、宇治橋の橋桁になります」だって。

 

う〜ん、100年先、200年先・・・。神社の自給自足は究極だぁ。気が遠くなるぅ。

 

 

 

 

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