森林維持のためには木を伐ることも必要なのですが、伐るのに反対する声があります。木曽のヒノキもその一例です(→2013.6ちょっと教えて)。
以前、「保全」という言葉を挙げて、「自然保護」「保存」との関係性、解釈の仕方について述べました(→2010.10森林雑学ゼミ)。
「自然保護」という言葉は、古い時代には特殊な、珍しい自然をそのままそっと手を入れずに「保存」しようということを、主として意味しました。その考え方が常識化していた過去には、こんな例がありました。
例1)信州霧が峰、草原
放牧の草原で有名なところでした。昭和50年代、観光目的の色濃いハイウェイを建設する計画が持ち上がり、同時に、自然・景観維持のために反対運動も起こりました。
いろいろあって、開設の条件として草原の自然保護区、すなわち一切の人為を排することを建前とした区画を設定することで妥協、ハイウェイは完成しました。
その「保護区」は、時が経つにつれ遷移が進行して森林化していきました。しかし、生えてくる樹木を除くことは出来ません。人手を入れないのが原則の「保護区」指定なのですから。実は、霧が峰の草原は、十分な降水量があり、放牧、火入れ、刈り取りなどで森林化が妨げられることで維持されていたのでした。
最近の調査では森林化が進行しているとか。35年前に比べ、森林は約4倍に拡大、逆に草原は2割近く減少しているそうです。
例2)熊本立田山、ヤエクチナシ
昭和35年頃、薪を採った後のコジイ萌芽林内で、天然記念物のヤエクチナシが1株発見されました。
この種は昭和4年に天然記念物指定され、園芸用はあるものの、野生種は絶滅が危惧されていたもの。故に発見された株に対して、早速柵で囲い、林の所有者すら立ち入り禁止という、一切の人手を排した「保存」が図られました。
30年後。コジイ林は大きく成長し、樹高20mになりました。その暗い林内地表で、ヤエクチナシはいつか姿を消し、跡形もありません。ヤエクチナシは明るいところを好む植物だったのでした。
例3)京都嵐山、アカマツ林(→2010.1森林雑学ゼミの写真参照)
嵐山は、アカマツと渓流のなす美しさで古くからの景勝の地。大正8年、地元に嵐山保勝会が生まれ、その風景の保存のため、昭和5年に公的な風致林に指定されました。
当初のその取り扱いの方針は「・・・自然的推移を基礎とし、景観に風韻を添えるサクラ、マツ、カエデを適度に・・・」だったのですが、一般人には「木竹の伐採を禁ず・土石の採取を禁ず・落葉の採取を禁ず」の手厚い保護でした。
おかげで、アカマツは旺盛になる広葉樹に負けて、マツ林はすっかり広葉樹林と化しました。京都に例のマツ枯れ被害が蔓延するより以前のことです。
・・・さて、いかがでしょう。
「自然保護」という言葉については、今もって人手を加えない「保存」だと信じている人が少なくありません。しかし現代では、以前よりもっと広い意味を持ち、基本的には、生態系の維持と、その賢明なすなわち持続可能な利用、また天然資源の管理。つまり、持続可能な有効利用、すなわち「保全」の語の意味合いが強くなりました。
もちろん、「保存」も重要なことです。しかし、「保存」それだけでは、自然の植生の移り変わりの途中の姿は維持できない、つまり、人手の入った自然の現状維持にはその動きの抑制が必要だということです。
要は「自然保護」とは、「保存」「保全」「防護」「修復」「維持」(→2010.10森林雑学ゼミ)の使い分けなのです。
(c)只木良也 2013
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