日本画家・上村淳之画伯の主導にて計画が進む「花鳥の郷」。
京都府南部の南山城村の山林35haを、鳥も来る、人も来る、楽しく美しい郷にしようというもので、2010年に「NPO花鳥の郷をつくる会」が発足。
仕事柄、そして彼とは小中の同級生という縁もあって、私も参加、その副理事長を務めています(→2010.10.31ひとりごと)。
役割としては、森林の専門家として、整備について助言・提案をすること。これまで、こんなことを述べてきました。
まずは、水場の確保。
花鳥の郷ですから、鳥類を誘致することが大命題。そのためには、水場は必須です。
谷川の流れが急ではなく、「たまり水」的に少々淀んだ水面が望ましく、その周辺は、樹木は伐開して明るくし、地表は自然生育の草本類を主とします。
自然に発生する木本類は、せいぜい樹高2m以下のものが点在する程度にとどめ、それを越えて生育する木本は除去して「草原・低木疎林」状を保ち、低木は鳥類の好む果実木を重視。水場周辺の一部分は、砂地とします。
他にもさまざまあると思いますが、基本的には、水場、草地、低木林、高木林などの混ざり合った変化に富むものが好ましいと理解しています。
そして、森林区域について。
この地域では、極相樹種シイ類、カシ類を主とする常緑広葉樹林(照葉樹林)への遷移(→2013.8ちょっと教えて)が考えられますが、その林が完成すれば、湿潤、陰鬱で、好んで人の立ち入る林相ではなくなります。しかしそれでは、人々の積極利用という、郷整備のねらいから外れてしまいます。では、どうするか。
人々にとって快適で、好んで立ち入りたくなる感覚を提供するためには、落葉広葉樹の「雑木林」がふさわしいと考えます。
例えば、ある程度の広がりを持った少し平らな箇所で、コナラなどを主とする落葉樹林、その下層植生には、常緑広葉樹が目立たぬ、すっきりした林相は、一つの理想形です。既に、そのような訪問者に好感を与える林相に近いものも存在していますので、それなどを見本として、適宜萌芽更新の手を加えながら維持していくとよいでしょう。
また、常緑広葉樹林化は避けるとしても、落葉広葉樹林やマツ林の低木層としての常緑広葉樹(ツバキ、アセビなど)の全面排除は不要。むしろ場所を限って上層落葉広葉樹(場合によってはアカマツ)と下層常緑広葉樹の二段林型誘導も好ましく思われます。
なお、スギやヒノキの、ある面積を占める一斉人工林はありません。大径高木は点在していますが、これらは風致的意味もあり、残存させる方向で。スギ、ヒノキもわが国里山の重要構成物ですから。
これらを進める上で常に意識しておく必要のあることが。近年蔓延するナラ枯れ被害です(→2010.5森林雑学ゼミ)。その勢いが終息するまでは、コナラ、アベマキ、クヌギなどには手厚く慎重に処置・対応しなければなりません。維持すべきは、小・中径木林(胸高直径<30cm)。それは、現在のところ、ナラ枯れ被害をもたらすカシノナガキクイムシの繁殖が、30cm以上の大径木に多く見られるためです。
ナラ枯れの、“先輩格”のようなマツ枯れ(→2010.2森林雑学ゼミ)についてはこんな風に考えました。
この計画が動き始めた頃、現地にも、マツ枯れ病(ザイセンチュウ被害)被害木は続出していました。しかし尾根筋には、アカマツとツツジ(コバノミツバツツジ)の二段の林相が残っており、この典型的な里山景観を維持する方向で考えてはどうか、と提案しました。
実は私、「マツ枯れ全盛の現状から見て、マツ林の維持・造成には不賛成」が持論です。
ただ、ここではこう考えたのです。
この郷の主宰は敦之画伯。その祖母は上村松園画伯であり、父は松篁画伯です。そのお二方に由縁の地でもあるならば、お名前にある「松」に因んで、マツの存続を出来るかぎり図りたい、と。
処置としては、マツ樹幹に薬剤を注入するなど。しかし残念ながら、時すでに遅く、被害は進行。マツの稚樹は発生しているのですが。
・・・という具合に現地の整備は着々と。そのほか、植物・動物の観察会なども実施され、事業はまずまず順調に動いています。
(c)只木良也 2015
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